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1968年(昭和43年)3月 北海道蒸機撮影旅行5 奥中山2

3月3日(日)晴

▼朝起きると快晴で雪がまぶしく光っていた。熟睡したので爽快だ。しっかり朝飯を食べ出発する。奥中山駅への坂道の途中で馬そりと出会った。

▼奥中山から御堂方向に線路を歩く。大カーブ付近(ここで撮られた写真が雑誌に出ていた)は上下線がすこし離れているので、地上では何とか撮れるが、丘からの俯瞰はポールと架線が邪魔してだめだ。もっと早い時期、電化工事が始まる前に来るべきだったと後悔する。

▼列車本数が多いので瞬く間にフイルムを使ってしまう(奥中山だけでまるまる1本使った)。まだ北海道ではない、もっと節約しなければ。

▼今日は天気が良く風もなかったので気持ちが良かった。14時ころ奥中山駅に戻り15時50分発上野始発の青森行普通227列車に乗る。C60+D51の重連だった。(奥中山駅は現在いわて銀河鉄道奥中山高原駅となっているが駅舎はほぼ当時のまま)

▼16時34分一戸到着、ここで途中下車し駅のスタンプを押し、機関区を覗くとD511がいたので1枚だけシャッターを切った。

▼一戸駅前で夕食にそばを食べ、18時3分発青森行普通131列車に乗る。青森到着は23時20分。青森0時1分発の摩周丸に間に合った。船室では隣の男たちがいつまでも花札をやって騒ぎなかなか寝られなかった。あまりまともなものを食べていないためか唇が渇いて仕方がない。

▼この日の支出770円(ユース宿泊費640円、パンと牛乳(昼飯)、そば(夕食))

・この日の行程

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1968年(昭和43年)3月 北海道蒸機撮影旅行4 奥中山

3月2日(土)晴れのち曇り、風強し

▼水戸22時02分発青森行急行「第二十和田」は満員だったが、自分の横の乗客が次の日立で下車したので席を確保することができた。とはいえ昨日のがらすき急行「いこま」とは違って、横になることはできないので熟睡はできない。翌朝目を覚ますと列車は花巻に停車中だった。目を凝らすとホームにうっすら雪が残っており北国に来たことを感じさせる。5時28分盛岡到着、外はまだ暗く寒かった。盛岡からは6時発の青森行普通535列車に乗り換える。6時40分好摩到着すぐにホームへ飛び降り線路を駆けてこの列車の発車を撮った。朝日を浴びたC61+C60の重連は良かったが、すでにかなり電化工事が進んでおり線路わきにはポールが立っており架線も張られていた。

▼好摩7時54分発の沼宮内行普通537列車で沼宮内へ向かう。この列車は区間列車で峠越えはしないので、D51の前に補機はついておらず客車も4両だけだった。

▼好摩からは9時発の青森行539列車で9時7分御堂に到着した。下車すると改札口で駅員から「おやおや、あなたも写真屋さんですか、最近汽車の写真を撮りに来る人が多いね」と言われる。電化完成が間近になり三重連を撮りにやって来るファンが増えているのだろう。

▼御堂から奥中山までの7.2kmは勾配区間でほとんどの列車に補機が付く。峠を登る列車を撮りながら線路を歩く。列車は休む間もなくやってきたが(お目当ての三重連にも遭遇)駅の近く以外はどこも電化のポールや架線が邪魔して期待したほど面白くなかった。天気が悪かったからかもしれない。朝のうちは晴れていたが、次第にどんよりした曇空になり冷たい風が吹きつけて震えるほど寒くなったのだ。

▼午後遅く奥中山駅に着いた。夜行の連チャンだったがそう疲れは感じなかった。ガイドブックによると奥中山駅から4kmほど山を登ったところに日本キリスト教奉仕団の経営するユースホステルがある、駅の公衆電話からYHに電話すると部屋はあるとのことだったので夜はここに泊まることにした。しかし4kmの山道は楽ではなかった。登るにつれ雪が深くなり、腰の付近まで雪に埋まる場所もあったのだ。1時間以上かかってようやくたどり着いたYHは標高650mに位置する三角屋根のしゃれたつくりだった。建物の前の広大な牧場地は一面雪で覆われていた。

▼ペアレントのおばさんから「こんな雪の中よく来られましたね」と歓迎される。1泊2食付きで550円+暖房費90円宿泊費計640円の出費は痛いが、部屋は暖かく食事はおいしかった。ほかに泊り客はなく、おばさんも格好の話し相手が現れたと思ったのか、夜は長い時間いろいろ話をした。(ネットを調べたところ奥中山YHはその後閉鎖され、建物は解体、現在は往時の痕跡をとどめるものは何もないとのこと)この日YHでいただいた熱々の牛乳の美味かったことは50年たった今も忘れられない。

▼この日の支出130円(駅そば50円、パンと牛乳80円)YH代金は翌日払い。(それにしてもこれだけでよく耐えられたものだと感心する)

・この日の行程

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1968年(昭和43年)3月 北海道蒸機撮影旅行3 浜川崎は空振り、竜ケ崎は火が入っていなかった

3月1日(金)晴のち曇り

▼この日は御殿場線に行こうと思っていたが、ボックス席でL字になって熟睡(急行「いこま」はががらすきだった)してしまい、寝過ごして小田原で降りることができなかったのであきらめる。6時41分横浜到着、横浜機関区を訪れた。扇形庫は立派だったが、薄汚いD51しかいないので1枚も撮らず引き返す。国電で鶴見下車、鶴見線で扇町へ向かう。

▼と言うのは鉄道ピクトリアルのバックナンバー(工学部図書館に全巻そろっていたので熟読した)から得た知識で京浜コンビナートの工場で蒸機を使っていることを知ったからだ。詳細は不明だが、蒸機のいそうな三井埠頭、第一セメント、日本鋼管の3工場を訪ることにした。しかしどの工場も四日市の石原産業と違って塀に囲まれており警備がうるさい。機関車を撮らせてほしいと頼んだ時の返答(当時のメモから)

①三井埠頭・・ああいいよ、勝手に撮りな                          ②第一セメント・・ドイツの機関車がいるが、工場立ち入りはだめだね                                  ③日本鋼管・・・・本社の許可がないと工場へは入れないよ

▼というわけで三井埠頭の5と3しか撮れなかった。ただしいずれも無火。

▼ほかの工場も入口付近で粘っていれば、機関車が外に出てくる可能性もあったが、何もない殺風景なところでボーと待っているのは耐えられないので引き上げる。近くに川崎市電の停留所があったので、市電で川崎に出て駅のスタンプを押した。

▼川崎から国電で上野へ出て、上野13時49分発平行普通425列車に乗った。14時54分佐貫で下車、関東鉄道竜ケ崎線のDCで終点竜ケ崎へ向う。畑の中をごとごと10分も走るともう終点竜ケ崎だった。なんと古めかしい駅だ。

▼ヤードには日車の蒸機がいたが火は入っていなかった。

▼蒸機が動いていなければ竜ケ崎にいる意味がないので次のDCで佐貫へバックし、佐貫16時58分発の草野行471Mに乗った。17時33分石岡で下車、関東鉄道鉾田線の庫に行くも蒸機(たぶんクラウスの4号だったのだろう)はぼろぼろだったし、もう薄暗かったので写真は撮らなかった。石岡18時33分発勝田行473Mで水戸に向かう。水戸到着は19時7分。なんとも今日はさえない1日だった。

▼この日の支出435円(朝定食70円、饅頭4個100円、リンゴ2個40円(昼飯の代わりだったか?)、夜定食100円、国鉄鶴見線運賃50円、川崎市電15円、竜ケ崎線往復60円)

・この日の行程

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1968年(昭和43年)3月 北海道蒸機撮影旅行2 石原産業四日市工場のB6

2月29日(木)小雨

▼いよいよ出発の日となった、あいにく外は冷たい雨が降っていた。下宿のおばさんに一言あいさつし、須磨7時5分発の快速電車で大阪へ向かった。この日は天王寺8時30分発の名古屋行DC急行かすが1号に乗車するつもりだったが、国労の順法闘争の影響で電車がおくれ(環状線大阪、天王寺間も40分もかかった)乗り遅れるかと心配したが、かすが1号(湊町発)も到着が10分以上遅れたのでぎりぎり間に合いほっとした。10時27分亀山到着、雨はやまない。亀山から11時22分発の名古屋行各停924に乗り換える。この列車はC57の牽引だった。

▼11時49分南四日市へ到着、 小雨の中コンビナート方面へ向かう。近鉄塩浜駅近くで専用線をみつけ線路にそって歩くと工場はすぐだった。(下は当時のメモ)

▼線路に沿ってそのまま工場に入る(おおらかな時代!)とヤードの片隅で2412が煙を上げていた。これがB6と言う機関車かと感激する。アッシュピットで作業をしていた年配の男から「どこから来たの?この前NHKが取材に来たよ」と話しかけられた。「ディーゼルは軽く雨の日は空転するので蒸機の方が良いが、公害の問題があるので、7月か8月までで蒸機を使うのはやめる」とのことだった。メモを見ると息子さんが大学生で月3万円も仕送りをしているとか、勉強もせずギターばっかりしているとかいろいろ愚痴を言われたと記している。・

▼後日新聞でNHKが取材した「さよならB-6」が放映されることを知ったが当時はTVを持っていなかった(下宿先にもTVはなかった)のでこの番組は見ていない。あの時話をしたのはこの人だったのかな。

▼走行写真も撮った(フイルムは10本しかないので無駄には撮れない)が天気が悪く風景は面白くないのでしばらくして引き上げることにした。南四日市まで行くのはしんどいので近鉄塩浜駅から近鉄四日市に出て国鉄四日市16時52分発の名古屋行DC急行はやたまに乗った。

▼17時7分桑名で下車、駅のスタンプを押す。蒸機撮影メインの旅のはずだったがまだ駅のスタンプも集めたかった。

▼桑名18時1分発DC急行いすず2号で名古屋へ向かう18時25分名古屋到着。駅近くの安食堂で夕食を撮る。定食100円とえらく安かった。夕食後、乗車予定の名古屋0時22分発東京行急行いこままでずいぶん時間があったはずだがどうして時間をつぶしたか記憶がない。

▼この日の支出130円(近鉄30円、夕食100円)昼飯は持参したパンを食したと思われる。

・この日の行程(北海道均一周遊券は名古屋まで関西本線経由も選択できた)

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1968年(昭和43年)3月 北海道蒸機撮影旅行① 出発まで

▼今からちょうど50年前の1968年(昭和43年)はベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動の高まりとともに国内は騒然としていたが、自分にとっては初めて目的を蒸機撮影だけに絞って北海道旅行に出かけた記念すべき年でもあった。前年(昭和42年)夏の北海道旅行では乗り鉄と駅のスタンプ集めがメイン目的だったが、この時すっかり蒸機撮影の魅力にはまってしまい、次は煙が期待できる冬に行かねばと決心したのだ。

・昭和42年9月キネマ旬報蒸気機関車特集号、SLブームのはしりのころ刊行されたこの本にずいぶん刺激を受けた。

▼出発は期末試験が終わり春休みが始まる2月29日(木)とし、それまでに旅行資金と望遠レンズ((キネ旬には望遠レンズで撮った写真が多かった)を買うため、ひたすらアルバイトに精を出した。年が明け絞りが手動の無名メーカーの135㎜の安物を購入した。フイルムは36枚撮りのコニパンSS10本のみ。冬の北海道の気温が何度くらいか、雪がどのくらい積もっているのかよくわからなかったが、キルティングとゴム長なら何とかなるのではないかと心配はしなかった。旅行中のねぐらは夜行列車としたが、数日に1回は風呂に入り体を休めるためユースホステルに泊まることにした。(寒さが予想されるので駅寝は断念)

▼すべての準備を整え、出発前日の2月28日神戸駅で大阪発26日間有効の北海道均一周遊券を購入する。運賃は学割で10250円だった。(周遊券は4枚つづりで、下記2枚以外に神戸市内⇒大阪市内、大阪市内⇒神戸市内の2枚が付いていた)詳細な旅行計画は立てなかったが、北海道の行きかえりにもあちこちに立ち寄り、生きている蒸機を写そうと思った。

▼持参したダイヤエースの時刻表(昭和43年3月号)と前年買ったユースホステルハンドブック。(ユースに泊まるためにはスリーピングシーツ持参が必須だった)

▼当時のメモを参考に自分にとって10代最後の旅ともなった、50年前の北海道蒸機撮影旅行を再現してみる。

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築地市場 マグロの競り見学

▼来宅した娘に築地の最終営業日に行った話をしたところ、「自分はマグロの競りを見たことがある」というので、スマホで撮ったという写真を数枚拝借した。話によると前日の最終電車で築地に向かい、市場に隣接している24時間営業のファミレスで時間をつぶし、午前3時に受付に行って順番待ちをした。控室で少し休み5時過ぎに見学に出発した。競りを見ることができたのは15分くらいだけだったがなかなか興味深かった。その後仲卸の皆さんの邪魔にならないように退出し場内の食堂で海鮮丼を食し帰宅したとのこと。なんだが面白そうだが、たった15分のマグロの競りを見るためにそんな努力をしなければならないのか、悲しいかな、もはや当方そのような気力体力とてもなしだ。

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