春の琺瑯紀行 周防高森(山口)

▼本日は20時発のフライトで宇部空港から帰京の予定だが青春18きっぷがあと1日分残っているので、これで新山口から徳山に出て岩徳線沿線の周防高森、西岩国と山陽線の柳井、田布施、櫛ケ浜を探索し宇部線草江から空港へ向かうことにした。岩国、徳山間の山陽線が瀬戸内海に沿って走る区間は嫌というほど乗ったが、新幹線が開通してからはすっかりご無沙汰しているし、岩徳線に乗るのも半世紀ぶりだ。

▼新山口6時25分発3308Mを徳山で下り、徳山7時10分発岩徳線2228Dに乗り換え8時4分本日最初の訪問地周防高森で下車する。陰鬱な雨の降り続いた山陰に比べ、山陽は穏やかで天気も良いので元気が出る。高森駅はローカル線に似つかわしくないほどヤードは広く(側線はすべて撤去されているが)、戦前の山陽本線時代をほうふつさせた。簡易委託駅なのでちゃんと駅員がいるのが嬉しい。

▼高森はかっては玖珂郡周東町という独立した自治体だったが、平成の大合併で岩国市に編入され今は行政的には岩国の一部となっている。しかし駅前広場の案内看板は「ようこそ周東町」のままだった。

▼周防高森滞在時間は45分しかない。早速探索に向かう。ここは旧山陽道の宿場町だったところなので何かあるかもしれないと期待した。駅から旧道へ出る道を歩き始めると木造民家の板塀に「後藤散」の琺瑯看板を見つける。後藤散は大分県臼杵市の製薬メーカー、うすき製薬の製品、社長は後藤さん、ロゴマークは「うすきね」印。初見参だ。

▼(左)改造されてはいるが玄関の破風や凝った意匠は昔は遊郭だったのか?「佐伯屋旅館」と記された看板が掛けられていた。(右)別の民家 屋根の白壁部分に鬼?が剣を咥えたレリーフが

▼古い木造民家はどんどん取り壊されている。

▼旧道には特徴のある建物が点在していたが、現代風にリノベーションされており面白くない。ここでは塩看板1枚しか発見できなかった。たちまち時間が無くなったので急いで駅に戻る。

▼「どこからおいでなされました」と駅員から声をかけられた。事情を話すと「もう10年早く来られたらよかったのに、この町には古い家はずいぶんあったのですが、もうどんどん壊されましてね、ちょっと前まで江戸時代の陣屋も残っていたのですよ」とのこと。仕方ない、まあ「後藤散」が残っていただけでよしとしよう。

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春の琺瑯紀行 益田②(島根)

▼駅構内の案内所で古い街並みについて聞くと「七尾町、幸町、本町あたりかしらね、歩くと30分以上かかるので医光院行の市内バスで行かれた方が良いですよ」と言われる。益田の滞在時間は2時間ある、行きはバス帰りは歩きにしよう。市内地図をもらい駅前で待っていると、ほどなくバスがきたが乗客は自分1人だけ、こんながらがら状態でやっていけるかと心配する。高校前停留所で下車、タブレットを確認しながら住宅街をうろつき七尾町を目指す。

▼路地を歩いていると意識に天啓がひらめいた。道の向こうにある木造倉庫にべたべた貼ってあるのはもしかしたら琺瑯看板ではないか!

▼まぎれもない、神代鋤のロゴマークも鮮やかな多木肥料の琺瑯看板だった。こんな多量の琺瑯看板を貼った肥料倉庫は初めてだ。すっかり興奮し夢中で撮影に励む。話を聞こうと事務棟?を覗くが誰も人はおられなかった。歓喜と失望、たまにこういう思いがけない発見があるので看板探しはやめられない。

▼七尾町のあたりはやや期待外れだった。古い民家や商家はあるにはあったが建て替えられたり、歯抜け状態になったりで原型が失われており面白くないのだ。看板も見つからなかった。ざっと探索し歩いて駅に戻ることにした。

▼すこし時間があったので駅の近くの商店街をぶらつく。どんより曇った空とくすんだ商店街が何とも言えない侘しさを醸し出す。

▼表通りは都市計画によって近代的な姿に変わったが、面白いのは時代から取り残されたこんなところだ。

▼駅に昭和30年代の益田駅前の写真が飾ってあった。すっかり寂れ果ててしまった街にもこんな賑やかだった時代があったのかと感慨にふける。

▼これで今回の山陰の旅はおしまい。益田16時15分の山口線2552Dで新山口に向う。

 

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春の琺瑯紀行 益田①(島根)海岸線を行くD51

▼益田行349DはワンマンDC、わずかな乗客を乗せ浜田を13時17分に発車した。

▼三保三隅、岡見、鎌手と列車は海岸線に沿って走る。この区間は田儀や仁万付近と並んで山陰線屈指撮影地だったので半世紀前何度か訪れたことがある。浜田以西はD51が多くC57にはめったに会えなかった。

▼(上左)岡見駅ホームのすぐそばでイカを干していた。車両以外の風景も撮っておくべきだったと激しく後悔。(下)朝の列車交換、手前D51706 のデフにはJNRのマークが付いている。岡見?

▼(上)貨物列車をけん引していたのはD51+C56!だった(下)6両もの客車を連結している。単行DCの現在とは天と地の差だ。

▼当時のネガをチェックすると珍しく数カットカラーでも撮っていた。

▼あれこれ昔の思い出にふけっているうちに14時8分、列車は終点の益田に到着した。ふと駅名が「石見益田」ではなく単に「益田」になっていることに気が付いた。

▼石見益田時代のスタンプ

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春の琺瑯紀行 浜田(島根)

▼温泉津から乗った3453Dは11時21分浜田に到着した。駅の案内所で尋ねると浜田には古い街並みと言えるほどのものはないが、栄町あたりに古い家が少し残っているとのことだった。浜田滞在時間は2時間あるので栄町へはバスで行き、街を探索しながら駅に戻ることにした。バスの発車まで駅の周りをぶらつくが、メインストリートは完全にシャッター街で昔は石見の中心の町だったとは思えない恐ろしいほどの寂れようだ。

▼半世紀前の浜田駅前。夕方浜田に到着しYHで一泊した。街は今よりは賑やかだった。

▼夜はいつものごとく三脚をもって駅の構内をうろついた。D51の牽く客車列車後藤式デフを付けたD51833は浜田区の所属だった。

▼栄町でバスを降りあたりを探索する、古い木造民家は残ってはいたが改造が進みあまり面白くない。琺瑯看板も全く見つからなかった。

▼三角ビル?駅まで歩いて戻ったが全く収穫はなくがっかりだった。

▼ところで浜田駅は立派な駅舎になったが、一つ先の西浜田駅はどうなっただろう、上は半世紀前に撮ったもの。もちろん有人駅で平屋木造ながら鉄道駅としての風格があった。入口板塀に「浜高学園祭」のポスターが貼ってある。下はGoogle mapで覗いた現在の西浜田駅。入口の三角屋根にかすかにオリジナルの香りをとどめてはいるが、不要となった駅務室が撤去され昔とは雲泥の姿なのに唖然とした。

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春の琺瑯紀行 温泉津(島根)

▼今日は山陰線を下り温泉津、浜田を探索し、蒸機時代D51列車を撮ったことのある三保三隅、岡見、鎌田を車窓から眺め益田から山口線で新山口へ向かう予定だ。

▼朝起きると薄日のさすまずまずの天気だった。8時4分出雲市発3651Dに乗り9時5分温泉津で下車した。温泉には興味はないが出雲出身の友人から「あそこは古い建物が多く、昭和というより今も明治、大正の香りがするから島根に行くなら是非行くといいよ」とアドバイスをもらっていたので立ち寄りことにした次第。10時42分発の下りに乗るつもりなので温泉津滞在は1時間半くらいしかない。温泉場は駅から海に向かって歩いて20分くらいとのことなのであまりのんびりしている時間はない。早速歩き出す。

▼途中道に沿って古い家がいくつもあった。やがて視界が開け海が見えると道路の右手に温泉津の温泉場が広がっていた。

▼海から奥の山に向かう狭くるしい道の両側にびっしり温泉宿をメインにした木造建築が立ち並んでいた。これは素晴らしい。温泉津は国の重要伝統的建物群保存地区に指定されているが、街並み保存地区によくあるように建物がピカピカにリノベーションされていないのが良い。

▼近代的なホテルではなく昔ながらの木造旅館ばかりだ。地元の人々用(たぶん)の共同浴場もあった。

▼ここは面白い。友人が言ったように昭和というより明治、大正の雰囲気だ。あちこちうろつきまわり木造建物を観察する。しかし建物は面白いが肝心の琺瑯看板が見当たらないのはどうしたことだろう。

▼ようやく新聞店のブロック塀にずらりと貼られた新聞社看板を見つけた。

▼どこかの店先に昔(と言っても昭和30年代か?)の温泉津の写真が飾ってあった。建物や道は今とさして変わらないが、今より華やかな雰囲気で賑わっていたのではないかと思われた。

▼琺瑯看板は大した収穫はなかったが、温泉津の町自体は心惹かれた。何組かの外国人(西洋人)旅行者に出会のは意外だった。彼らにとって伝統的日本文化に触れるのは最適の場所かもしれない。(こんなところよく知っているなと感心)もっとうろつきたいが(共同浴場にも入りた)たちまちタイムアウト、未練が残るまま駅への道を急いだ。

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春の琺瑯紀行 仁万(島根)

▼16時30分江津発332Dは17時2分仁万に到着。もう夕方になったがようやく雨が止んだのでほっとする。仁万は大田市仁摩町だが平成の大合併で大田市に編入される前は迩摩郡仁摩町として独立した自治体だった。ここは昔一度だけ下車したことがあるが。駅から線路を歩いて撮影地に向かったので街の記憶は全くない。

▼仁万の滞在時間は45分しかない。過疎化のためか、駅前通りに人影はなかった。かっては商店だったと思われる建物もみかけるがほとんど営業はしていない。

▼たちまち探索終了、収穫は皆無だった。まあこんなこともある。琺瑯看板探しという目的がなければ決して再訪することもなかっただろう。

▼駅に戻ったとき日が差し込んできた。

▼仁万を訪問したのは1回だけないので記憶はあいまいだが、出雲市よりに大きな築堤がありここでC57を狙った記憶がある。(モノクロをカラー化)

▼同じ日のネガに海をバックに小学校の向こうを行くD51貨物を捉えたコマがあるが、どこで撮ったか、仁万ではなく田儀か?いずれにせよもうこんな木造校舎は残っていないことだけは確かだ。(モノクロをカラー化)

▼仁万を17時47分発334Dは18時41分すっかり暗くなった出雲市駅に到着、長い1日がやっと終わった。

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春の琺瑯紀行 江津(島根)

▼大田市14時31分発3455Dは15時8分に江津に到着した。側線は取り払われているがホームも跨線橋も昔のままでC57の客車列車が発着しても違和感ない。

▼ここには江川鉄橋を渡る列車を撮りに1度だけ来たことがあるが街の記憶は全くない。江津の中心はかっては駅付近ではなく、江川河口の江津本町だったとのことだが地図で見るとかなり離れている。16時30分発の上り列車に乗る予定なので、滞在時間は1時間半しかないが急いで往復すれば何とか間に合うだろう。

▼いくら街歩きが好きとはいえ、こんな大降りの雨の中を歩くのは楽ではない。駅前は寂れて探せば何かありそうな気がするが、寄り道する時間がない。

▼山陰本線江川鉄橋、下はモノクロをソフトでカラー化したもの。あの時はC57の客車がターゲットだったが何とDL、それでも粘ってD51の貨物を撮った。

▼江川に沿って歩き三江線のガードをくぐると山に隠れるように古い街並みが広がっていた。時間を気にしながら路地から路地をうろつく。

▼(左)旧江津郵便局 華南か東南アジアの華人住宅のような造りだ。

▼板塀に「ウテナ粉白粉」の琺瑯看板を発見する。手前の板切れが邪魔して右半分が隠れてしまっているのは残念だが戦前のものに違いない。(白粉には粉、水の2種類あり、ウテナ化粧品本舗が粉白粉を発売したのは昭和4年、「ウ」の上に右書きの「一等」の文字が見えるがこれは「白ツキ一等」の一部)こんなものがまだ残っていたのかと感激した。

▼江津本町は探せばまだ何か見つかるかもしれないが、もう時間切れだ。一向にやまない雨の中後ろ髪を引かれる思いで駅への道を急いだ

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