御宿にあった満州語の教科書

▼珍しく温かく気持ちがよい日、御宿にUを訪ねる。9月の台風でやられた果樹園を検分したあと「地元民しか知らない場所を案内しよう」と草をかき分けながら、踏み跡のある細い道を海辺に下る。夏だと草の勢いがすごいが今は冬なので少しは楽なのだそうだ。ようやく浜にたどり着く、狭いスペースだが外房の特徴ある断崖絶壁が迫り、前方には雄大な風景が広がっていた。

▼帰路、草むらにコンクリートの廃墟があった。Uによると昔の海女小屋だったところとのことだ、昭和30年代までは御宿ではアワビや海藻を取る海女漁が盛んだったそうだ。当時の記録を保管した資料館が町にあるとのことで訪れる。昭和6年から39年まで40年にわたって現役の海女の生活を写した「岩瀬禎之 海女の群像 」という写真集は印象的だった。観光海女ではなくホンモノのたくましい海女の自然がとらえられている。(地引網を牽く漁師がふんどしもなしにすっぽんぽんなのには仰天した)カメラマンは地元の酒屋の主だった方(故人)だったこともあるのだろう。Uは写真集に収録されなかった写真やネガもごっそり見せてもらったと言っていたが一度拝見したいものだ。

▼資料館では思わぬ収穫があった。(海女とは全く関係ない)開架式の書棚に地元の篤志家が寄贈した戦前の世界各国の教科書が3000作あまりも収蔵されていたのだ。旧日本領土だった地域の教科書も多数ある。「満州語読本」と記された満洲人向けの学校で使用されていた教科書があった。満州語?、最初は満州国では故宮の額に記されているようなモンゴル文字に似た文字を使う満州語教育をやっていたのかと思ったのだが・・・

▼違った。内容は中国語(国語)の教科書だった。満州国では現住の中国人は満人、中国語(国語)は満州語(満語)と呼んだことは知っていたが、学校でも満州語の呼称だったようだ。(本来の満州族の言葉は「固有満州語」として「満州語」とは区別していたらしい)それはそれとして日本の国定教科書をモチーフに作成されたに違いないものなのだろうピンインや注音字母のない満州国の初等教科書(サイタサイタサクラガサイタを想起させる)を目にしたのは初めだったので興味深々だった。よくこんなものを保存していたものだ。まさかこんなところにこんなものがあるとは・・だからあちこちふらつくのは楽しく面白い。

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晩秋の神代植物園を歩く

▼Iと神代植物園を歩く。当方花や植物にはほとんど関心がなく、ここを訪れるのも初めてだ。ウィークデイの午後、しかも小雨がぱらつく寒い日なので、園内は静寂そのものだった。池のそばの杉のような樹々の葉が赤くなっているのでびっくりした。紅葉は広葉樹だけで、針葉樹は1年中緑のままだと思っていたからだ。「ああこれ杉ではなく落羽松だよ」と植物にも詳しいIは一言。紅葉する針葉樹もあるのかと目からうろこだった。

▼趣味の守備範囲が違うとはいえ博識のIの話は飽きなかった。散策を終えたあと、大温室で熱帯植物を鑑賞しながら冷えた体を温め、夕闇迫る植物園を後にする。あいにくの天候だったが、気のおけない友との晩秋の紅葉狩りもまた楽しからずやと言ったところだった。

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新宿駅に入ってきた相鉄電車

▼今日は相鉄電車がJRに乗り入れる初日なので、新宿での所用を済ませたあとJR駅へ行ってみた。JR構内には11月30日のダイア改正で埼京線と相鉄線が相互直通運転を開始という案内ビラが貼ってあるだけで、慶祝ムードは全くなくいつもの表情だった。

▼相鉄直通電車はりんかい線直通電車と同じホームだ。JR新宿駅でこんな発車案内を見ると「海老名行がここから出るのかと、ほ~っ」とする。海老名までなら小田急の方が早く安い(たぶん)と思うが、途中の相鉄沿線に住む人にとっては乗り換えなしに新宿に行くことができることは大きなメリットに違いない。

▼もう午後なので鉄ちゃんはいないだろうと思っていたが違った。特異な面構えの黒い相鉄電車が入線してくると、発車を撮ろうとホームは黒山の人だかりになった。スマホを構えている人も結構いるので、皆さんすべてが鉄ちゃんというわけではないようだ。掲示板は各駅停車だが電車には「相鉄線内特急」と表示されているのが面白い。

▼相鉄電車が新宿駅に?!今はちょっと珍しい光景も、時の流れとともに見慣れた光景となり、きっとだれも関心を払わなくなるのだろうね・・・

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焼き芋屋

▼今日は時折小雨の降る肌寒い日だったが、台場の自由の女神付近は降りしきる雨をもろともせず、ひっきりなしに外国人がやってきて東京湾をバックに記念写真を撮っていた。聞こえてくる言葉は中国語が圧倒的に多いので中国や台湾でもここは人気の観光スポットなのだろう。歩道橋の下には彼らを目当てにバンに石窯を積んだ焼き芋屋が店を出していた。「烤地瓜(=地瓜はサツマイモの意)」「超超好吃」か、下の方には)「もしこの焼き芋を食べずに帰国されるなら大変遺憾だ」とか「写真を撮るだけでなく、ちゃんと味わってみて」なんて中国語が書かれている。

▼好奇心の強い彼の国の人なので「オッこんなところに焼き芋屋がある、1本食べて温まろう」と手を出すのだろう、でもを値段は見てびっくりするに違いない。一本L700円、M500円とある。最近は焼き芋なんて買ったことがないので、これが普通の値段なのか、よくわからない)北京に住んでいた時分、冬になると町でよく焼き芋を買った。アツアツの焼き芋は小腹にたまったが、種類が違うのか、中国の芋は水気が多くべちゃべちゃしてホクホク感がなく日本の芋より味は落ちた。値段はよく覚えていないが2,3本でせいぜい5元か10元くらいだっただろう。ここで焼き芋を食した彼の国の人々が果たしてどんな感想を持つのか知りたいところだ。

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1991年香港北角

▼TVで香港区議会選挙で民主派が80%の議席を得たと伝えていた。民主派の圧倒的な勝利だが、香港の混乱が収束するかは依然不透明だ。中国政府が約束した一国二制度の有効期限は50年、あと28年後の2047年には香港は完全に中国の体制に組み入れられることになっているからだ。その時香港がどうなるか予言できない。

▼今から28年前、1991年11月、広東省珠海での2週間にわたる出張を終え、朝マカオ経由で香港に出た時の解放感はなかった。暑くも寒くもない快適な気候、無事仕事が終わったという安堵はもちろんだが、やっと自由な世界の空気に触れた心地よさからでもあった。珠海経済特区は内陸部とは違う多少の自由があったが、まだ英領だった香港のそれとは比べるべくもなかった。

▼東京行きのフライトまで時間があったので、トラムを撮りに北角に出かけた。

▼線路ぎりぎりまではみ出た屋台、雑踏する買い物客、市場の中を進む2階建てトラム、今も昔もここが一番香港らしいトラム風景だと思うがトラムのラッピングや人々の服装等に微妙に時の流れを感じる。

▼28年というと長いようで短い。中国返還を6年後に控えた28年前の1991年、北角に行ったあの日のことは簡単に思い出せるが、今から28年後というと・・・残念もうこの世にいないか。

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呑スケ止マレ

▼琺瑯看板を探して某市の路地裏をうろついていると目に入った飲み屋の前の電柱に取り付けられていた手書きの標識(というか看板)「呑スケ止マレ」。色あせているし「呑み助」ではなく「呑スケ」、「止まれ」でななく「止マレ」とカタカナなのが時代を感じるが、それにしても古臭いコピーがかえっていい味を出しており、思わずニヤリとした。

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2つの奇岩

▼先日琺瑯看板を探して某市をうろついていたら住宅地に隣接した公園に小道を隔てて妙な形をした2つの岩がごろんとしているを見つけた。陰陽石だ。この手の石を祀る神社は日本各地にあるが(中国やタイにもあった)こんなにでかいものは初めてだった。しかも子供が遊ぶ普通の公園の中にで~んと鎮座している。コレいつごろ運び込まれたものなのか、昔からここにあったものなのか?「男の根岩、女の陰石に きほえとも 道をへたてて合わなくともあはれ」なる歌が添えてあった。

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