古い扇風機

▼骨董屋のショーウィンドウにナショナルの古い扇風機が置いてあった。昭和レトロブームで古い扇風機もインテリアとしての需要があるのだろう。当時の値札までついている。おやと思ったのは、正価14500という値段だけでなく羽径が16吋と漢字で書かれていることだ。今でもメートルは漢字で米と記すことはあるが、インチを「吋」と漢字で記すことは皆無に等しい。

▼昭和27年のナショナル扇風機のカタログには「吋」が使われている。(この扇風機も形状からして昭和20年代に製造されたものではないかと思える)昭和30年代半ば?羽径表記がインチからセンチに移行する際に「吋」は消えたに違いない。

▼インチを意味する「吋」は明治時代に日本で考案された国字だ。中国語では「英寸」と記す。しかし新華辞典にはちゃんと「吋」の字が載っており、「英米の長さの単位、1フィートの1/12、現在では英寸と書く」と記されている。英寸と書くようになったのは新中国(中華人民共和国)が成立してからだ。日本や中国大陸ではすっかり廃れた「吋」だが中華民国(台湾)ではパリパリの現役なのは面白い。下は台湾でのスマホの広告「どっちの画面が大きい?」蛍幕は画面の意。

▼「吋」はさておき、それにしても昭和20年代の扇風機のお値段が14500円というのは当時の物価水準からすると恐ろしく高いのではないだろうか。値札についている女優さん?が気になってgoogle レンズで検索したが該当なしだった。誰だろう?

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ある食堂の張り紙

▼先日某所を歩いていたら昭和感たっぷりの食堂が目に入ったので、おやおやと思って近づいてみたがシャッターが下りてやっていないようだった。ガラス窓に店のご主人の書かれたと思われる張り紙が貼られている。

▼張り紙には営業休止の理由が記されていた。「妻がリュウマチでコロナに感染すると重症化しやすいためコロナが落ち着くまでもうしばらく休ませていただきます」とある。「フクローの福ちゃん云々」の福ちゃんとは店で飼われているペットなのだろうか?文面からは、仲の良い老夫婦が営むコロナ禍前の平和で穏やかだった食堂の光景が目に浮かんでくるようだった。

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無臭トイレ

▼某所を歩いていたらとある材木店の軒下に無臭トイレのプラ看板がつるされていた。なぜ材木店でトイレを販売しているのか不思議だったが、イラストを見るとコレ、ウオッシュレットなんかではなく、ひと昔前に流行った?汲み取り式トイレの改良タイプではないか。水洗トイレが一般化する前、少しでも便所の臭気を取り除くため考案されたシステムだった。このタイプのトイレは便器の真下に便槽がある従来型トイレよりも臭くなかったことはよく覚えている。

▼セキスイのカタログをチェックするとちゃんと載っていたのにはびっくりした。「優れた排臭効果と安全設計の便槽です」とある。昭和遺構どころかまだ現行製品だったとは・・

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横浜水道局軌道の痕跡

▼今は相模原市の一部だが「上溝」はかっての神奈川県高座郡上溝町で明治から昭和初期にかけては生糸・繭市場が設けられた高座郡の商業や行政の中心として繁栄した町だった。(昭和14年に策定された軍都相模原建設計画で同じ高座郡の相模原町に合併される)先日相模原市立博物館を訪れた時、昔の上溝の街並みを写した写真や看板類がたくさん展示してあったのに興味を覚えどんなところなのか行ってみることにした。

▼最寄り駅は相模線の上溝駅で横浜線の橋本から相模線に乗り換えればすぐだった。相模線に乗るのは初めてだったが、電化されてはいるもののまだ単線とは知らなかった。駅をでると小田急多摩線の上溝延長を求める横断幕が目に付いた。永山が終着駅となっている小田急がここまでくれば確かに便利だが、果たして実現の可能性はどうだろう。

▼駅からの広い道をしばらく行くと県道508号線にぶつかる。この辺りが上溝の中心らしいが都市開発が進んでおり何の変哲もない普通の街並みで風情はなかった。

▼あたりをうろつくも面白いものは見つからず期待外れだったが、せっかくなので県道を厚木方向へ歩くことにした。次の小幡駅付近から県道を逸れ相模線の東側の小道を進むと風格のある木造家屋がぽつぽつ現れてきた。

▼市街地から離れたこの付近には畑や雑木林が残っておりハイキング気分で歩くのは気持ちがいい。そのうちふと今歩いている畑の道がなんだか軌道跡のような感じではないかと気が付いた。でもこんなところに軌道跡があるはずがないと思ったのだが・・・

▼やっぱり軌道跡だった。道のわきに横浜市水道局が作った「水道みちトロッコの歴史」なる立派な案内看板が立っていたのだ。説明によると「明治20年に水源のある津久井郡三井村(現相模原市緑区)から横浜野毛山浄水場まで全長44kmの近代水道を通すにあたって資材や水道管輸送のために線路を敷いてトロッコを走らせた云々」とのことだ。説明板には当時の写真が何枚か印刷されていた。上溝付近で撮られた写真を見るとたしかに雰囲気は似ている。

▼説明板には「三井用水取入所」、「野毛山浄水場」の写真とともに軌道の全路線図も記されていた。こんな軌道の存在は初めて知った。トロッコ軌道とは言え全長44kmと言えばかなり長い。どんな車両を使っていたのだろうか、動力は人力だけなのか?いつ頃まで使われていたものなのか?知りたいことは山ほどあるがこの辺りのことは説明板には記されていない。

▼線路跡は整備されていたのでどんどん先を進むと住宅地の中を通り、山の中(麻溝公園)に分け入った。この先横浜に至る軌道跡の痕跡も知りたいが夕暮れが近づいたので今回の探索はここまでとした。しばし公園で休憩をしバスで相模大野に出て小田急で帰宅する。

▼上溝は残念だったが、横浜水道局のトロッコ軌道?のことを知ったのは収穫だった。調べてみると横浜市内には線路が残っている場所がまだあるようなので機会を見つけて捜しに出かけてみよう。

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馬に注意

▼先日少し自宅から離れた場所を散歩していたら馬のイラストの見慣れない道路標識があった。山間部の道路ではクマやたぬきをあしらった標識をたまに見かけることはあるが、この付近は工場や住宅が立ち並ぶ市街地だ。何だろうと路地を入ると乗馬クラブだった。しゃれたクラブハウスがあり馬に乗った人たちが馬場をぐるぐる回っていた。馬場は狭く窮屈そうな気がするが皆さん楽しいのだろう。ただこんな標識があるからには時には外に出て一般道路をトレッキングすることもあるに違いない。調べると馬に乗って公道を移動するのは道路交通法上は問題なく免許もいらないとのことだ。

▼30年前のキューバ、田舎に行くと馬が当たり前の交通手段だった・・

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琺瑯紀行 上信電鉄沿線の街④ 上州福島

▼15時39分上州福島到着。ここは甘楽郡甘楽町で武家屋敷が残る城下町小幡の玄関口だが町の中心小幡までは3kmあり、歩くと45分はかかるが滞在時間は1時間もないので、小幡まで行かず駅の周辺をうろついてお茶を濁すことにした。琺瑯製の駅名表示板、待合室の温度計、駅前の井戸・・いかにもローカル線駅舎の風情だ。

▼駅を出てまっすぐ進むとすぐに国道254線にぶつかる。小幡はまだ先だが国道沿いに商店が何軒か並んでいた。米屋の屋根下には三菱自動車の広告入り塩看板。

▼年季の入った乾物屋、廃屋?かと思ったがちゃんと営業中だった。

▼この乾物屋の軒先にはめ込まれたあか抜けないガラス看板が昭和感満点ですごかった。(右上)アサヒダルマ印のインスタントラーメンなんて聞いたことがない。(右下)極洋捕鯨のハムソーセージ、「捕鯨」という言葉がが時代にそぐわなくなり「極洋捕鯨」が社名から捕鯨をとって「極洋」にしたのは昭和46年だった。これらのガラス看板は昭和30年代に作製(たぶん)されたものに違いない。

 

▼琺瑯看板は見つからなかったが、最後に乾物屋のガラス看板を見つけただけで上州福島で下車したかいがあった。もう時間がない、急いで駅に戻り16時28発高崎行電車で上州福島を後にした。上信電鉄沿線探索はこれにておしまい。

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琺瑯紀行 上信電鉄沿線の街③ 富岡

▼13時58分上州富岡到着。富岡製糸場が世界遺産に登録され観光客が増えることを見越して建て替えられたのだろうか。ローカル私鉄にしてはえらくモダンな駅舎だった。駅でGETした「富岡見どころマップ」を参考に街をぶらつき、せっかくなので製糸場にも立ち寄ることにした。

▼駅前をまっすぐ進むと国道254線(上町通り)にぶつかる。この辺りが街の中心らしいが人影はなくひっそりしている。製糸場はこの道路を渡った先にあるがまずは街歩きだ。

▼この通り(上町通り)には由緒ありげな町家や商家が並んでいた。大黒屋(下)は今は営業していないが中をのぞくとサッポロビールと清酒玉錦の琺瑯看板が転がっていた。以前は酒屋だったに違いない。

▼それにしてもひっそりとした街だ。

▼木のガラス戸がたまらなく昭和感を漂わせる雑貨屋松浦。

▼(左)まるで料亭かと思わせる木造三階建ての「内科外科胃腸科神部医院」、(左)しゃれたたたずまいの「阪本耳鼻咽喉科医院」いずれも現役だ。

▼大通りから路地を入るとまたまた興味深い建物が見つかった。(左)屋根の上に望楼のある江原時計店。

▼看板にはかすれた「富士屋」の文字が、もう営業していないようだがもとは何屋だったのだろう?

▼八百屋の店先に所狭しと置かれているのは名物「下仁田ネギ」か?

▼たちまち時間がなくなったので急いで製糸場を見学することにした。入場料1000円を支払い塀の中に入ると創業時のままのレンガ造りの建物群が並んでいた。さすが世界遺産だけあって見ごたえがあったが、懐かしい思いがしたのは木造の職員宿舎、女工さんの宿舎だ。製糸場は昭和62年まで操業していたとのことだが、一部手が加えられているとはいえこんな木造のものまで昔の姿のまましっかり保存されているのには感心した。

▼結局富岡は滞在時間1時間半たらずで時間切れとなった、もっと時間をかけたかったが仕方がない。15時32分発の電車で次の目的地上州福島へ向った。

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琺瑯紀行 上信電鉄沿線の街② 下仁田

▼通りの両側には年季の入った木造家屋や商店がごっそり残っていたが、店舗は営業をやめてから相当年数がたっていると見え、ほとんどの看板は消えかけていた。

▼それでも営業している店もある。(左)靴履物日用雑貨やまだや、典型的な看板建築で2階部分には右書きで「山田屋商店」と記されている。(右)米雑貨屋 右奥に「豆炭こたつあります」とのPOPが垂れ下がっていた。豆炭こたつとは懐かしい、まだ健在だとは知らなかった。

▼味のある手書き看板(左)宮田畳店、電話は「有線!7407」昭和30年代ではあるまいし今時有線電話なんてあるのか(中)馬山屋商店 「小間物 良品廉売」時代を感じさせるキャッチコピーだ(右)三文字屋 「中学生うわばきあります」どうってことのない張り紙だが・・

▼それにしても下仁田は人影のない寂れたところだった。こんな時代から取り残されたような昭和の香りの漂う街は大好物なので2時間ばかり夢中でうろつきまわった。

▼13時35分発高崎行の電車で次の目的地上州富岡へ。派手派手塗装の電車の乗客はほんの数人だけだった。

▼街は面白かったが肝心の琺瑯看板に関してはほとんど収穫はなかった。月星運動靴のほかはコカ・コーラとファンタの色褪せた看板を見かけただけだ。

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琺瑯紀行 上信電鉄沿線の街①

▼1日全線フリー切符を使って上信電鉄沿線を訪ねた。上信電鉄は高崎と下仁田を結ぶ33.7kmの路線だが真新しい電車には関心がなく目的は沿線の街歩きだ。当初は先に終点の下仁田まで行き途中下車しながら高崎まで戻ってくるつもりだったが、高崎から乗った9時55分発の電車は上州富岡止まりだったので、3つ手前の吉井駅で下車し20分後にやってくる下仁田行に乗り換えることにした。

▼10時19分吉井到着、ここはまだ高崎市内だ。駅は有人駅でなかなか趣があったが駅周辺は殺風景で何もなかった。

▼すぐやってきた10時39分発の下仁田行に乗る。沿線の中心でもあり世界遺産富岡製糸場のある上州富岡駅を過ぎると車内に乗客はほとんどいなくなった。電車は次第に山に分け入り渓谷に沿って進み11時19分終点下仁田に到着した。上信電鉄は貨物営業を廃止しているはずだが構内にはまだ貨車が何両か留置されていた。ここの駅も木造でなかなか雰囲気が良かった。

▼下仁田は甘楽郡下仁田町、昔は信州へ通じる宿場町で物資の集積地として栄えたが、今は見る影もない。駅を出て左折すると狭い路地があり「中央通り」の看板が出ていた。歓楽街?だったのだろうがすっかりさびれ人通りはなかった。「撞球場」なんて今や死語?

▼路地の先には広い通りがあった。ここで「月星運動靴」の琺瑯看板を見つける。

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素焼きのチャイカップ

▼日曜日の朝TBSラジオを聴いていたら「インド国鉄は脱プラスチック政策の一環として鉄道駅や列車内で売られているチャイカップ(カラット)をプラスチックから素焼きのカップに戻す決定をした」と言うニュースを報じていた。素焼きのカップは使い捨ての割りばしのようなものでチャイを飲みほすとすぐ地面にたたきつけられ捨てられる。そしてまた土に戻る、まあ究極のリサイクルというわけだ。当時チャイの値段は1杯1ルピーか2ルピーくらいだった(たぶん)ので、カップのコストは考えられないくらい低かったはずだ。記念に1つだけ持って帰ったはずだがと探してみたら本箱の片隅にあった。

・すぐに叩き割られるのでクオリティは高くない、まあ小学生の粘土工作といったところか。

▼素焼きカップの復活は新たな雇用の拡大にも貢献するとのことだ。

▼ネパールに接するインド北部のウッタラプラディシュ州の冬は雨が多く寒かった。撮影を終え駅の屋台で飲む熱々のチャイは素焼きのカップならではの格別の味わいだったことを覚えている。

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