1970年(昭和45年)3月 九州蒸機撮影旅行5  雨の熊本機関区、球磨川鉄橋はよかった

昭和45年3月22日(日)雨のち晴

▼実家は1晩だけのつもりだったが、居心地が良かったためもう1日骨休みをして翌々22日に出発する。この日は雨が降りそうな天気だったが、たっぷり休養したので体力は回復、2食分の弁当をリュックに詰め込んで、朝1番のバスで厚狭に出る。厚狭6時56分発の鹿児島本線直通の荒尾行221Mに乗り8時16分黒崎で下車、D60の牽く筑豊線直通の直方行1727列車を狙う。

▼黒崎9時11分発急行阿蘇に乗車、11時51分熊本に到着した時は本降りの雨だった。3年前(昭和42年)50CCのバイクで九州を回っていた時、熊本で泊る所が見つからなくて途方に暮れていたところ、ちょっと立ち寄った熊本駅の待合室で親切なオジサンに出会い、家に泊めてもらったことがある。あの日もひどい雨だった。(翌日はオジサンの小型トラックにバイクを積んで立野まで送ってもらった)そんなことを思い出すが、今は電化工事がかなり進捗し駅周辺は架線がうるさく面白くない。

▼機関区に行ってみた。ここは架線がないのはいいが、こんな雨ではイマイチだ。

▼熊本を切り上げ、14時52分発の下り急行かいもん2号に乗る。すっかり天気は回復し青空になった。八代到着15時28分、駅の近くで何本か撮った後、少し歩いて球磨川鉄橋に行ってみた。ここは遠くからだと架線が気にならず白煙が良いアクセントになった。

▼八代18時5分発肥薩線人吉行837列車に乗る。C57100の牽引だったので途中一勝地(だったと思う)で急行えびの3号と交換のため停車したとき、急いでホームに降り機関車の前に三脚を立て夜景を撮った。人吉到着19時52分、すぐに20時7分発吉松行849列車に乗り換える。21時36分吉松到着、ホームには今夜のねぐらとなる21時49分発門司行1122列車が待っていた。何のことはない、夜行列車=「ねぐら」なので、この列車で人吉⇒八代と今来た道を戻るだけだ。

・本日の支出 160円+?(メモに記載なし、160円は厚狭、門司の切符代)

・本日の行程

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1970年(昭和45年)3月 九州蒸機撮影旅行4  効率よく回れたが筑豊3重連はイマイチだった

昭和45年3月20日(金)晴

▼1122列車はがらすきだったので堂々とL字になって寝ることができた。4時25分鳥栖着、ホームで肉うどん50エンを食し、5時38分発の久大本線始発大分行627Dに乗車6時28分田主丸で下車した。この時間帯に上り下り4本続けてやってくる通勤列車を狙う。このあたりは畑が広がる単調な風景だが、線路の周りは邪魔なモノがないので撮りやすい。最初に来た日田発鳥栖行624列車は86の牽引だった。まだ朝もやが漂っていたが徐々に日が差してきた。

▼4本撮り終え、田主丸8時45分発日田行631Dに乗り8時45分日田の2つ手前の夜明で下車する。ここからは日田彦山線が分岐しており、10時7分に門司港からの723列車の到着があるからだ。駅から少し歩きSカーブを下ってきた列車を撮ってすぐ駅に戻り、筑豊本線の3重連を撮るため10時47分発の久大本線久留米経由博多行924Dに乗った。

▼12時20分筑豊本線の分岐点原田で下車する。筑豊本線ホームにはC5553の牽く12時52分発の門司行1734列車が煙を上げていた。

▼今日は冷水峠ではなく筑前内野の一つ先の上穂波で下り貨物1765列車を狙うつもりだ。この列車は筑豊線周りの熊本行臨時急行天草51号運転時には、機関車の回送関係からかしばしば三重連になる、天草51号は昨日(19日)からなので今日は3重連になる可能性が高かった。13時21分上穂波で下車、線路を歩いて筑前内野寄りの丘に登る。14時4分発のC55の原田行733列車の30分後期待の1765列車がやってきたが・・。確かに機関車はD60+D51+D60の3重連だが貨物は数両しか牽いていないのだ。せっかくここまで来たのにこれではでまるで迫力がない、残念。

▼上穂波15時41分発若松行738列車で今日最後の目的地筑前垣生へ向かう。筑豊本線は列車密度が高いので何回か蒸機列車とすれ違った。

▼16時52分筑前垣生到着、17時36分発小倉行1736Dまで滞在時間は40分足らずしかなかった96の牽く石炭列車が2本撮れたのでOKだ。

▼今日は天気も良く、久大本線、日田彦山線、筑豊本線と効率よく回ることができたので大満足だった。小倉到着18時20分、当初はまた夜行列車で南下しようと思っていたが小倉まで戻ると来るとつい里心がつき、いったん実家に帰ることにした。北海道と違って九州は実家から近く、何度も来たことがあるので新鮮さがなくどうも旅に出たという気がしない。

・本日の支出 350円(うどん50円、パン+コーラ+コロッケ140円、切符門司⇒厚狭160円)

・本日の行程

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1970年(昭和45年)3月 九州蒸機撮影旅行3  鹿児島本線電化近し

昭和45年3月18日(水)晴

▼昨夜は久しぶりに布団で寝て英気を養ったのですっかり体力が回復してきた。実家で2食分の弁当を作ってもらい夕方バスで厚狭に出た。C58の牽く18時1分発美祢線長門市行の厚狭駅発車を撮った後山陽本線の下り電車に乗る。

▼今日は鳥栖から23時51分発鹿児島行の夜行「急行かいもん2号」に乗る予定だが、時間はたっぷりあるので小倉で下車して駅前をぶらついた後、鹿児島本線で原田へ行き機関区で夜景を撮った。メモに「22時58分原田到着の飯塚始発の2771列車(筑豊本線最終列車)はD60の混合だった」と記しているが、もちろん暗くて写真は撮れない。原田23時29分の荒尾行で鳥栖に向かい予定通り今夜のねぐら「急行かいもん2号」に乗った。車内は結構混んでおり横になることはできなかった。

昭和45年3月19日(木)晴

▼朝4時55分川内到着、さすがここは鹿児島県なので暖かい。鹿児島本線の電化工事はかなり進捗しており、駅構内にはすでに架線が張られているのはがっかりだった。しばらく待合室で休んでC6016の牽く6時25分発の鹿児島行223列車に乗った。

▼6時29分隣の隈之城で下車、列車を撮りながら線路を隣駅の木場茶屋まで歩く。この区間、本数は多く切り通しの上から狙えるのだが、どうしても電化ポールが邪魔で撮りにくい。

▼木場茶屋9時発宮之城線直通の薩摩大口行962Dに乗り9時32分樋脇へ行く。宮之城線はDC化されていたが、1日1往復の貨物列車はC56が牽いていたのでこれを撮ろうと思ったからだ。9時32分樋脇着、駅からすこし歩いたところで薩摩大口方面からきた貨物列車を撮り10時28分発の927Dで川内にバックした。川内で11時31分発の出水行930Dに乗り換える。

▼12時51分出水到着、次の目的地湯浦に向かうため13時2分、出水始発の熊本行136列車に乗る。C6026の牽引だった。14時5分湯浦到着、ちょうどD51の貨物が進入してきた。乗ってきた130列車の発車を撮り駅のスタンプ(こんな小さな駅にもかかわらずちゃんとスタンプがあった)を押したあと線路沿いに津奈木方面に歩き始めた。

▼湯浦から先は複線になるのでカーブの内側からは何とか撮れるが、やはり電化工事が始まる前に来るべきだった。峠のトンネルの手前まで行って駅に引き返す。

▼湯浦17時17分発943Dに乗り、水俣で18時15分発山野線栗野行441Dに乗り換える。山野線のループは有名だが、この線に乗るのは初めてだ。どんなところか興味津々でループの始まる久木野駅を過ぎたあたりで車窓に目を凝らしていたが、線路脇まで木々が生い茂っていたのと薄暗くなっていたので、見通しが悪くループを走っているという実感がなかった。19時53分栗野到着、19時55分発肥薩線吉松行に乗り換え20時5分吉松に到着した。

▼駅の待合室で今日のねぐらとなる吉松21時49分発門司港行夜行1122列車を待っていると中年のおじさん(鹿児島機関区に努めているとのこと)に話しかけられた。この人カメラが趣味だが撮っているのは汽車ではなく「城」、いろいろ九州の城のうんちく話を聞かされたが、こちらは城には興味がないのでちんぷんかんぷんだった。

・本日の支出305円(パンとコーラ130円、パン80円、パンとコーラ95円)※実家の弁当がボリューム大だったのでパンを食べただけで済んだ。

・本日の行程

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1970年(昭和45年)3月 九州蒸機撮影旅行2  電化ポールの立ち並んだ呉線

昭和45年3月17日(火)晴

▼6時15分音戸2号を呉で下車する。この時間帯、5本続けてやってくるC62、 C59の牽く広島行を撮るつもりだったが、すでに線路わきには電化ポールが立ち並んでいるので撮りずらくなっている。電化工事が始まった昭和43年から44年はまだ大丈夫だったが、まだ架線は張られていないが工事は予定通り進捗しているようでいよいよ蒸機の終わりが迫ってきたのことを感じる。

・昭和43年4月25日朝日夕刊

▼川原石方面に歩き小さなトンネルの前のカーブで粘ることにした。大阪から来たという鉄ちゃんがカメラを構えていたのでしばらく話をする。今日は天気がいいのはありがたいがやはりポールが邪魔だ。

▼呉10時25分発の638Dで仁方へ向かう。九州均一周遊券は呉線を通ることはできるがバックはできないので切符を買う。仁方から安芸川尻にかけてはポールが目立たないのでここでヘッドマークを付けた急行安芸を撮ることにした。10時42分仁方到着。駅前で昼飯用にサンドイッチ5個を買ったが1個20円とえらく安いのに驚いた。

▼駅を出て線路沿いの道を歩き峠を越えると右手に瀬戸内海が見えてきた。空気は冷たいが一昨日まで雪の中だったのに比べるどうってことはない。急行安芸はカラーで撮ろうとフイルムをモノクロからカラーに入れ替え畑の中でスタンバイした。11時20分頃下り安芸はちょっと曇ってさえなかったが、午後からは快晴となり15時47分仁方発の上りの安芸は煙もよくまずまずだった。(この間来た列車はフイルムを入れ替えるのが面倒くさいのでカラーのまま撮っている)

▼16時37分発645Dで仁方を後にする。呉から先はまた周遊券が有効なので途中下車は自由だ、途中17時9分天応で下車するも、この辺りは電化工事がかなり進捗していた。

▼ポール林立、架線が張られる一歩手前では面白くないので、天応17時48分発の939列車で広島へ向かい、18時40分広島発下関行急行山陽3号に乗り換えた。今日は実家に泊まって明日九州に入るつもりだ。

・本日の支出325円(パンと牛乳85円、サンドイッチ100円、てんぷらうどん60円、切符80円)

・本日の行程

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1970年(昭和45年)3月 九州蒸機撮影旅行1  三ノ宮駅で九州均一周遊券を買う

昭和45年3月16日(月) 雨のち晴

▼姫路行急行銀河2号は北海道周遊券の有効期限を1日オーバーし翌朝16日7時51分大阪に到着した。通勤時間帯なのでホームは人であふれており、やっと見慣れた日常世界に戻った感じだ。外は雨が降っており少し肌寒かった。

▼8時14分発の快速上郡行に乗り替え三ノ宮で下車する。駅で明日17日から有効の九州均一周遊券を購入、代金は学割で5040円だった。痛かったのは北海道と同様九州周遊券も有効期間が以前は16日だったのが12日に短縮されたことだ。12日間有効ということは最終日が3月28日となるが、今回は山口県の実家への帰省を兼ねたものなので28日中に実家に戻り、帰路の厚狭(最寄り駅)、神戸間は放棄することにした。

▼須磨の下宿に戻り一息つく。「今日の夜行で九州に行く」とおばさんに言うと「北海道から帰ったばっかりなのにまたすぐ九州なの」とあきれ顔だった。午後からは雨も止み薄日もさしてきたので洗濯をする。午後3時過ぎ、開店と同時に下宿の斜め前の風呂屋(御幸湯)に行き久しぶりに長旅の垢を落した。

・下宿の斜め前にあった御幸湯、震災とその後の都市再開発のため、風景は一変、今は建物はなくこの付近は広い道路が走っている。

▼夕食を済ませしばらくゆっくりして、各停で明石へ向かい。明石発0時36分の呉線経由の広島行夜行急行音戸2号へ乗り込んだ。0時を過ぎると翌日(17日)にカウントされるので1日得する。それにしても夜行列車をねぐらとするのはもう何日目になるのだろうか、(豊富温泉YH以来布団では寝ていない)。車窓から見上げる夜空は満天の星だった。

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1970年(昭和45年)2/3月 北海道蒸機撮影旅行20 只見線雪深し

昭和45年3月15日(日)晴

▼1時34分うとうとしていると長岡に到着、10分間停車。小出まであと1時間もないので起きておくことにした。2時21分小出到着、凍てつく寒気に眠気が吹き飛ぶ。日曜日のせいか待合室には始発列車を待つ鉄ちゃんが何人かいた。ストーブが入っていて暖かいのが助かる。で

▼只見線には北海道均一周遊券では乗れないので終点大白川までの切符(120円)を買う。5時7分発の始発131列車に乗り6時18分大白川到着。だいぶ明るくなってきた。

▼今日は大白川と一つ手前の柿ノ木の間で1日粘ることにした。さすが新潟県有数の豪雪地帯だけあって沿線はどこも雪が深かった。

▼雪晴れの気持ちが良い日だった。午後C11の前に男が乗って映画用のカメラを回していた。「あれTプロダクションのカメラマンだよ」と隣の背広姿の鉄ちゃんが教えてくれた。この人有名な大手企業に勤めて(背広に某社のバッチをつけていた)おり、撮影に行くときはいつもグリーン車しか乗らないと自慢する。わざわざ背広姿でこんなところまで来ることはないと思うが世の中にはお金持ちの鉄ちゃんがいるものだ。

▼大白川16時30分発の138列車で小出に戻る。均一周遊券の有効期限(20日間)は今日で切れるが、規則ではこの日の夜行列車に乗れば翌日(21日目)大阪に着いてもよいことになっている。17時26分138列車が小出に到着すると17時34分発上越線上野行732Mに乗り換えた。途中石打で駅弁200エンを買い夕食とする、20時6分高崎着上野行急行佐渡6号に乗り換え21時34分上野到着、山手線で東京へ向かい、無事東海道線22時40分発姫路行銀河2号に間にあった。

▼大阪着は明日の7時51分、これで北海道均一周遊券はフル活用できたことになる。そのあと本当は須磨の下宿でゆっくりしたいところだがそうはいかない。明日は三ノ宮で九州均一周遊券を買って下宿で洗濯を済ませ風呂屋で旅の垢を落とした後、その足で呉線周りの夜行急行音戸2号で九州蒸機撮影旅行に出かける予定だからだ。

・石打駅で買った雪国御弁当200エン、北海道は150エンが普通だったのにちょっと高い?

 

・本日の支出 765円(パン80円、パンとサイダー95円、ソーセージ30円、駅弁200円、そば120円、大白川往復切符代240円)

・本日の行程

・翌年(1971年)8月、会津線への直通工事が完成するまで只見線はC11が頑張っていたが、末期には機関車の煙室扉の塗装がゼブラになりサマにならなかった。

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1970年(昭和45年)2/3月 北海道蒸機撮影旅行19 雪の矢立峠

昭和45年3月14日(土)曇時々雪

▼4時35分松前丸は青森に到着、待合室でしばらく休んで奥羽本線の矢立峠に向かうため6時24分発の金沢行DC急行しらゆきに乗車した。矢立峠は津軽湯ノ沢からだが、急行しらゆきは碇ヶ関、大舘間はノンストップなので、碇ヶ関からバスで津軽湯ノ沢に行こうと思った。国道にバスが走っていることは前回訪問時にわかっていからだ。7時22分碇ヶ関駅到着、山が近いこの辺りは雪が結構あるが北海道に比べると大したことはない。しらゆきと交換の7時24分発の青森行普通624列車を撮って待合室に行くテレビで大阪万博の開会式を実況していた、アメリカ館には月の石が展示されているとかで機会があればちょっと参観したい。

▼駅周辺でしばらく撮ってからバスに乗った。

▼津軽湯ノ沢駅前で下車し線路に並行している国道を歩く。サミットのトンネルにかけてが見せ場だが、カーブの内側に電柱が多く相変わらず撮りにくいところだ。途中何人も鉄ちゃんに出会った。今は春休みのせいか高校生もいた。

▼矢立峠は列車本数は多いがすっきり列車全体が撮れないのでイマイチ面白くない。適当に切り上げヒッチハイクで陣馬へ行こうとしたが車が止まらず失敗、結局陣馬駅まで6㎞歩いた。しかし陣馬駅からの上り列車は17時過ぎまでしかないのだ。(時刻表で確認すればわかるはずだがつい怠っていた)仕方がない大舘までバスで行こうとしたが、途中渋滞がひどく大舘駅に着いたのは16時20分頃だった。それでも大舘16時27分発の上野行急行津軽1号に間に合ったのでほっとする。18時23分秋田で下車、駅でそばとまんじゅうを買って夕食とし19時5分秋田始発の羽越・上越線経由の上野行急行鳥海3号に乗り込んだ。明日は只見線をやるつもりだが小出到着は真夜中の2時21分なので寝過ごすわけにはいかない。鳥海3号は暖房の効きが悪く、寒くてなかなか寝ることができなかった。

・本日の支出 484円(パンと牛乳84円、玉丼110円、まんじゅう90円、そば50円、バス2回150円)

・本日の行程

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1970年(昭和45年)2/3月 北海道蒸機撮影旅行18 C622を撮って北海道を後にする

昭和45年3月13日(金)曇のち晴、時々吹雪

▼6時15分すずらん6号は函館到着、疲れていたためか熟睡して函館到着まで目が覚めなかった。7時30分発DC急行すずらん1号に乗車し長万部へバックする。長万部到着9時11分、構内で写真を撮っていると、作業員の方から「今日のニセコはC622が前補機だよ」と教えてもらい元気づけられた。

▼上りのニセコ1号は上目名で撮ろうと、長万部10時28分発の旭川行普通121列車に乗る。朝方は曇りだったが、次第に天気は回復し日が差してきた。121列車は熱郛で網走発函館行の大雪6号くずれの普通124列車(大雪6号で7夜も過ごしずいぶんお世話になった)と交換する。雪壁に駅名板が埋もれているのが印象的だった。

▼上目名11時14分着、C622が前補機だという情報が知れ渡ったのか、鉄ちゃんの数は30人以上はいた。皆一斉に目名側にあるお立ち台を目指す。しかし、どうしたことか「山の天気は変わりやすい」ということわざどおり定番の撮影ポイントにたどり着いたときに天気は急変吹雪になったのだ。やきもきしながら列車を待ったが吹雪は収まらなかった。確かにC622は確かに確認できたが、こんな状態ではどうしようもない。みなでぶつぶつ文句を言いながら駅に戻った。

▼せめて長万部でC622が停まっているところを撮ろうと、上目名14時9分発函館行普通122列車で長万部へバックする。長万部はいい天気だ。機関区に行くとC622の周りには鉄ちゃんたちが集まって写真を撮ったり情報交換をしていた。上目名は吹雪いていたが銀山や倶知安は晴れていたことが分かったがもう後の祭りだ。

▼上りのニセコ3号は蕨岱と二股の間にある道路橋から撮ることにした。昨日と同じく長万部15時56分発黒松内行143Dに乗り16時22分蕨岱で下車する。ニセコの長万部発車は16時45分なのであまり時間はない。国道を二股方向へ30分ほど歩き道路が線路をオーバークロスする地点に到着した。橋の上にはもう鉄ちゃんが1人いた。聞けば東京から北海道の蒸機を撮りに来た高校生だった。1人でよくこんなところまで来るなと感心する。幸い天気はまずまずでやっとC622が前補機のニセコ3号が撮れたのでうれしかった。

▼蕨岱18時17分発函館行普通42列車で函館へ、22時27分函館到着、駅前食堂でハヤシライス130エンを食し0時45分発の青函連絡船松前丸に乗船した。これにて北海道の全日程を終了する。

・松前丸のスタンプ(0時45分発なので日付は3月14日となっている)

・本日の支出 310円(パンと牛乳80円、わかめそば100円、ハヤシライス130円)

・本日の行程

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1970年(昭和45年)2/3月 北海道蒸機撮影旅行17 礼文の大カーブ再訪

昭和45年3月12日(木)晴れたり曇ったり時々吹雪

▼3時31分すずらん6号を長万部で下車する。こんな時間に自力で起きるのはかなりつらいが、今日は3人グループなので、誰かが起こしてくれるので安心だ。ストーブの入った暖かい待合室で夜の明けるのを待つ。長万部6時14分発の室蘭行243列車に乗車、6時46分目的地の礼文で下車した。ちょうどD52の貨物が止まっていたので発車を撮った後、午前中は礼文華峠の大カーブ、、午後からは大岸寄りの海岸線をやることにして小幌方面へ線路を歩き始めた。

▼大カーブまで40分くらいだった。去年(昭和44年)も訪れたが、あの時は雪はなく全く雰囲気が違う。(1969年(昭和44年)4月 北海道蒸機撮影旅行15 礼文、蕨岱)室蘭本線は幹線なので貨物列車の本数は多いし去年発行された鉄道フアンの「蒸気機関車撮影地ガイド」にはには昭和44年10月改正のダイヤも掲載されているので大助かりだ。各自好きな場所に散らばり次々にやってくる列車を待った。困ったのは天気が変わりやすいことだった。朝は曇りがちだったがだんだん日が差してきたと思ったらすぐ吹雪になるというありさまだ。D52の牽く長大貨物がカーブを登ってきたときは晴れていたのでラッキーだった。一緒に来た1人がカーブ全体を見渡せるポイントがあるよと大喜びで戻ってきた。

・吹雪いたと思ったら・・

・すぐ日が差してくる・・変な天候だった。

▼すっかり大カーブを堪能しぞろぞろと礼文駅に戻り昼飯にする。鍋男はいなかったが待合室のストーブで近くの雑貨屋で買ったパンや干し芋をあぶって食べた。美味し。

▼午後からは大岸側に移動する。ここは海岸線ぎりぎりに線路が走っているところだ「撮影地ガイド」には岩場に登って海を入れて撮る写真が出ていたが、こんな天候では岩登りは危険すぎて無理だとわかる。

▼海岸線で何本か撮り、次のターゲットのC62重連の下りニセコ3号を狙うため長万部行14時26分発の226列車で礼文を後にした。長万部15時15分着、16時6分発の黒松内行143Dで16時ちょうど次の二股で下車する。この日二股、蕨岱間の鉄橋でニセコを撮った時のことは以前書いた。

カラーで撮った日本の蒸機 ②C62重連急行ニセコ3号

▼二股17時42分発142Dで長万部へ戻り他の2人と別れる。今日は3人行動を共にしたので楽しかったがまた一人になった、駅前食堂で夕食を済ませ機関区に行って夜景を撮った後、長万部20時32分発DC急行千歳線経由の札幌行すずらん5号に乗った。

▼明日の夜行の連絡船に乗ることにしていたが、最後にもう一度C62重連を撮りたい。長万部で泊ればよいのだが、YHはないので今日と同じように札幌発函館行のすずらん6号をねぐらにしようと思った。ただ下りのすずらん5号の札幌到着は23時33分なので、札幌まで行くと23時発の上りすずらん6号には間に合わない。そのため千歳ですずらん6号を待つことにした。長万部からのすずらん5号の千歳着は22時59分、札幌発のすずらん6号の千歳発は23時59分なので大丈夫だ。千歳駅の待合室はストーブが隅に置いてあるので寒くて仕方がなかった。1時間待ってすずらん6号に乗車、なんとか今夜のねぐらを確保する。

・本日の支出 不明 メモに記載なし

・本日の行程

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1970年(昭和45年)2/3月 北海道蒸機撮影旅行16 雄鉄通勤列車運転休止、札幌へ戻る

昭和45年3月11日(水)晴のち曇り

▼9時31分423列車は終着釧路到着、乗客を降ろしたあと庫に引き上げる列車を撮り、10時47分発の雄別鉄道15Dで雄別炭山へ向かう。先日夕張鉄道の錦沢を訪れた時、雄別炭鉱は2月末で閉山したが旅客列車は4月20日まで動かすと聞いたので、1001の牽く通勤列車を撮ろうと思ったからだ。

▼11時52分雄別炭山に到着、しかし駅には「通勤列車は閉山に伴って2月27日から運行停止」という告示が張り出されていた。冷静に考えると炭鉱が閉山になったのに通勤列車が運転されるはずはないが、釧路からのDCが時刻表通り動いていたのでつい期待してしまったが失敗だった。この日のことは以前に書いたことがある。(がらくた箱を開けてみる④ 雄別炭鉱の閉山)動いていたのはC11127のみで、1001は前輪が外された哀れな状態でジャッキアップされていた。せっかく来たのだがこれでは長居は無用、雄別炭山14時14分発18Dで釧路に戻ることにした。

▼周遊券の有効期間があと4日しかないので、こんなところであまりのんびりはできない。札幌に戻ろうと決め釧路15時30分発DC急行狩勝2号に乗る。完全に空振りに終わり1日損した感じだ。18時26分新得到着、ホームで売っていた「上等御弁当」150エンを買い夕食とした。前の席に座った留萌まで行くというおばさんといろいろ話をする。このおばさんえらく親切で、せんべいをいただきキルティングの破れの縫い繕いまでしてもらった。22時3分札幌到着。函館方面へはもう23時6分発のすずらん6号しかないのでこれに乗ろうと決め構内をぶらついていると、数日前留萌で別れた鉄ちゃんと出会った。奈良から来たという別の鉄ちゃんも同行している。2人は明日は礼文をやるとのことで彼らと合流することにした。しばらく1人旅だったのでまたワイワイしながらの撮影も楽しからずやだ。

・新得で買った駅弁 当時は大体どこでも150円だった。「上等御弁当」、「新得構内立売合資会社謹製」がいかにも昭和風だ。中身が何だったかは全く記憶なし。

・本日の支出 590+α(雄別炭山往復440、駅弁150円以外メモに記載なし)

・本日の行程

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