終日立会駅

▼さて乃木坂から代々木上原経由で帰宅しようと思ったのだが、ホームに出たところ柱に「終日立会駅」なる表示が目についた。大きな紙にプリントしたものでテープで止めてあることからして臨時のものと思われるが「終日立会駅」と言う意味が分からない。帰宅後ネットで調べてみると「終日立会駅」とはメトロ内部だけで使用されている専門用語で立会人(外部の警備会社から派遣された人が多い由)が終日電車の閉扉の合図をしている駅のことらしい。でもあの時ホームにはそんな人(立会人)はいなかったような気がするが・・・それにしても何故そんな内部専門語をでかでかと駅名表示板の横に張り出す必要があるのだろう???疑問は解けないままだ。

カテゴリー: 東京生活 | コメントをどうぞ

六本木にて

▼所用を済ませ六本木から千代田線の乃木坂駅に向かって歩いていると高層ビルの谷間に古びた平屋の木造家屋が建っているのが目に入った。六本木ヒルズから歩5分くらいのところだが、そこだけぽっかり異空間が現れた感じだ。屋根瓦が崩れかかっているところからして人は住んでいない気配だ。今はおしゃれなビルが林立しているこの辺りもつい一昔前ははこんな平屋が軒を連ねていたに違いない。視点が変われば見慣れた街も新鮮だ。最近は街を歩いているとすぐこんなものに目が向くようになった。

カテゴリー: 東京生活 | 2件のコメント

可愛い乗用車

▼散歩の途中で見かけた可愛い車。自動車については門外漢だがこれが50CC1人乗りのマイクロカーというものなのだろうか。マイクロカーは道路交通法は原動機付自転車扱いなのでなので車検もいらずシートベルト着用の義務もないらしい。でもこの車ナンバープレートがついていないので公道は走れない?

▼これは別の場所に駐車中のマイクロカー。ピカピカでエンジンをかければすぐ動きそうだ。でもこれもナンバープレートはついていなかった。

▼ネットでマイクロカーというキーワードで検索するとこの手の車の画像はごろごろ出てくる。自作キットもあると言うから好きな人は好きなのだろう。少し前まで中国の地方都市に行くとこんなインチキくさい小型車(もちろん1人乗りではない、時にはタクシーとしても使用)をよく見かけたが今はどうなのだろう?

カテゴリー: 東京生活 | コメントをどうぞ

連接バス

▼コカ・コーラベンチの撮影が終わった珍しく神奈中の連接バスがやって来たのでカメラを向ける。このバス、ドイツのネオプラン製で定員129名、定期バス路線で連接バスが導入されているのは東京では町田だけの由。

▼連接バスと言えば北京の公共汽車を思い出す。地下鉄網が未整備だった2000年代の初めまで「鉸接式巴士」と呼ばれた連接バスは市内交通の主役だった。定員200人だが通勤時は超満員で300人を超える乗客でぎゅう詰めで(もちろんエアコンなし連接部ほろの部分にも座席があった)スリが大活躍する場でもあった。1、2の番号を付けたこのバスが長安街を行き来していた光景を頭に浮かぶ。

▼これは2002年8月に撮影したもの。車体の色は変わったが連接バスは健在だった。

▼地下鉄網の発達と車体の老巧化により北京から連接バス(BK670型)が姿を消したのは200年代半ばだっただろうか。もちろん今でもバスは地下鉄を補完する重要なな交通手段だが、バスは普通の快適なものに交代した。日本各地では人口減少と車社会の進展によりバス路線の縮小廃止が続いているが、なぜ町田で大型連接バスが導入されたのか、理由は急増する乗客の需要に対応するためと言うのではなく、一度に大勢の乗客を輸送するため、バスの運行回数を減らし、渋滞緩和とCO2の削減に貢献することができるからと言うことらしい。町田の連接バスはかって北京市内を走っていたそれよりはるかに快適そうだが、果たして目標通りの成果を上げることができたのだろうか?

カテゴリー: 東京生活 | コメントをどうぞ

コカ・コーラのベンチ

▼近所のバス停においてある赤いベンチ。木製でかなり使い込まれておりところどころ色が剥げている。背もたれにはコカ・コーラのロゴと今はなき「東京コカ・コーラボトリング株式会社」の社名が記されている。ある日夕方ここを通りかかった時、ベンチは夕日に赤く染まり感動的な美しさだった。思わずシャッターを切りたくなるがこんな時に限ってカメラを持っておらず思いをした。(下は後日撮ったもの、曇天で光がなくフラットで面白くない)

▼ところでこのベンチ、どこにでもあるようだがバス停等で現役で使用されているものは少ない。特に木製はアルミやプラスチック製に比べ貴重だ。コカ・コーラベンチはカフェーや喫茶店の気の利いたインテリアとして人気があるのかオークションでもそれなりの値段がついている。今や背もたれに商品名のついた木製ベンチは琺瑯看板と同じ運命をたどっている。

カテゴリー: 東京生活 | コメントをどうぞ

岩殿山山頂にあった乃木将軍の碑

▼Iと大月駅で待ち合わせ、駅前から見える岩殿山へ登った。岩殿山は標高634メートルと大した山ではないが、上り道は急でお互い古希に手が届く年齢の老人には思いのほかきつかった。ようやくたどり着いた山頂からは春霞にかすむ富士山が望める。ウィークデーとあって山頂には誰もおらず気持ちが良い。

▼古びた石碑が建っていた。何やら漢詩が刻んである。本文は苔むして判読できないが後の方に乃木将軍云々と刻まれている。岩殿山には戦国武将小山田氏の城があったことは知っていたが、こんな場所に乃木将軍の碑があるとは意外だった。

▼帰宅後調べてみると確かに乃木希典は陸軍中佐だった明治12年に戦術研究のため従兵二人と岩殿山に登り前面にそびえる岩があまりに険しいのでウサギも登れないと感嘆して詩を読んだとある。明治37年の旅順203高地争奪戦の25年前だ、あの難攻不落のロシア軍陣地に対し日本軍が血みどろの戦いを仕掛けている時、彼の脳裏にあの岩殿山のことが浮かんだのだろうか。

カテゴリー: 東京生活 | コメントをどうぞ

春の琺瑯紀行 茨木県西部編 土浦探索③

▼神立では何も発見できなかったので土浦市内へ引き返した。駅の東側に木造家屋が残っている一帯があり自転車でぐるぐる回ってみるが何も収穫はなかった。

▼街角に映画のポスターが貼ってあった。映画館名は土浦セントラル。街中に映画のポスターが溢れていた時代が懐かしい。

▼板金屋?のガラス戸越しに「月星印ステンレス加工販売店」の看板が見える。残念ながら琺瑯製ではなくステンレス製だった。

▼古びた食料品店の柱に錆の出た琺瑯標識が貼ってあった。

▼板塀がある民家はだんだん消えていく。

▼近代的なビルに挟まれた看板建築があった。窓のデザインが凝っている。かすかに「白川美髪院」と言う文字が読み取れる。右書きなので戦前建てられたものなのだろう。美容院ではなく美髪院なのは散髪屋だったに違いない。

▼土浦探索はこれでおしまい。あれこれ面白いものもあったが、肝心の琺瑯看板に関しては中貫以外では見つからなかった。それにしても長時間自転車をこいでいたので尻が痛くなったのには往生した。土浦城址公園でしばし休憩し夕暮れの土浦を後にした。

カテゴリー: 琺瑯紀行 | コメントをどうぞ