▼戦前赤羽台には陸軍の兵器工廠や被服廠があり、赤羽駅から専用線が伸びていたことは鉄道フアンの端くれとして知っていた。戦後、広大な軍用地は団地に生まれ変わり都内でも有数のマンモス団地「桐ヶ丘団地」が誕生した。建設後半世紀経過した今日では団地建物は建て替えが進み真新しくなっているが、商店街だけは昔のままとのことなので訪ねてみた。うだる猛暑の午後、赤羽駅から20分くらい坂道を歩き「桐ヶ丘中央商店街」と記された団地建物の一階部分を通り抜けたところが件の商店街だった。
▼もっとも商店街と言っても思ったより規模は小さく大半はシャッターが閉まったままだった。広場にはためく色あせた万国旗が何とももの哀しい。


▼それでも一軒一軒閉店した店を見て回るといろいろ面白いものが発見できた(琺瑯看板は見つからなかったが)。電器店の色鮮やかな「ナショナルカラーテレビ」「東芝カラーテレビ」のアクリル看板からは3Cとしてカラーテレビがもてはやされた高度成長時代を思い出す。「たばこは心の日曜日」なんてキャッチコピーも懐かしい。全体的に見て昭和40年代前半で時が止まっている感覚だ。
▼(左)カルピスの袖看板がある商店の2階部分は事務所なのか?(右)手前のパン屋は閉店しているがその先の米屋は営業中だった。
▼唯一子供の姿を見かけたのは駄菓子屋さん。遊具や自販機の類も相当年季が入っているが現役。
▼(左)カメラ店(閉店)のアクリル看板、DPEは今や死語?(右)味のある手書きポスターの数々。
▼シャッターが上る、そろそろ開店かな?

▼もはや商店街としては体をなしていないが、ここに封じ込まれた昭和の光景には大いに心惹かれた。この日、自分以外にもカメラを手にした昭和レトロ愛好家(まあ自分もその一人だが)と思しき2組の方が商店街をうろついておられたのにもびっくりした。この先この商店街はどうなるのだろうか、このままの状態がいつまでも続くとは思えないのだが・・・