▼今日はバイクの調子はいい、加太をでて伊賀上野あたりで道を間違えた。どんどん山道に入って行き変だ変だと思っているうちに島ヶ原と言う駅に出たので待合室で一服した。
▼この駅、古い木造建築でなかなか風情があったが今どうなっているのかとGoogle Mapでチェックしたところ、丸形ポストが消えたり電話BOXが新設されているほかはほとんど往時と姿が変わっていないのに驚いた。
▼あの時興味深かったのは駅舎の瓦一枚一枚に旧関西鉄道の社紋(下右)が入っていることだった。関西鉄道が国有化されたのは明治40年なので、駅舎はそれ以前に建てられたものに違いない。さすがに今の駅舎の瓦は新しいものに取り換えられたのだろうな。
▼一路国道163号線を大阪に向かって走る。途中笠置付近で川向うにD51牽引の短い貨物列車の姿が見えたのでバイクを停めてカメラを向けた。
▼夜遅く神戸・須磨の下宿に無事到着、かくして無事5日間にわたる原チャリでの関西、参宮線撮影旅行を終了した。幸い雨に降られることもなかったし、野宿の最中、不審者として警察に通報されることもなかった。この旅からほどなくし関西線の旅客列車はすべて無煙化された。参宮線や関西線(名古屋口)を訪れるのはこれが最初で最後になった。苦しくも楽しかった若かりし頃のあのバイク旅がつい昨日のことのように思い出される。
▼本日の支出 コーラ+パン 90円、チリ紙20円、かき氷40円、中華丼120円、ガソリン3L150円 計420円
島ヶ原の駅舎、奇跡的です。駅を出て右側は耐火煉瓦の工場、正面の道路の両側に店が何軒かありました。今はご多分に漏れず寂れていますね。島ヶ原は鉄道村でした、要は就職先として役場か鉄道しか無い。今は就職しようとする若者が居ない!?
島ヶ原は明治の町村制実施1889年から平成の大合併2004年に上野市に吸収されて伊賀市の一部となるまでの115年間何の変化もありませんでした。さらに明治の町村制実施の前も単独の村だったようです。それと関連するのかどうか知りませんが、大字がありません。駅の辺りの字は町(マチ)といいます。島ヶ原村町!(あまらぼ鍋屋町)
なるほど、そんな歴史があったのですね。ご教授ありがとうございました。関西線もこの辺りはまだ電化されていないようですね。またセンチメンタルジャーニーをやりたいものです。
50ccカブとD51貨物列車はどっちが早かったんでしょうね
それはやはりD51ですよ。原チャリは30km/時しか出せませんから。