排日教科書

▼今にも一雨降りそうなどんよりとした寒い日2年ぶりに御宿のUを訪ねた。ランチを摂りながらお互いの無事を確認した後、2時間ばかりこの町の歴史民俗資料館にこもって無造作に保管されている古い教科書コレクションを読みふけった。当方の興味があるのは満州国や日本の植民地(台湾、朝鮮、南洋群島)、旧中華民国のものだ。2年前満州国の分は見た(御宿にあった満州語の教科書)ので、今回は大陸時代の中華民国のものをメインにチェックすることにした

▼以下は大陸に政権があったころの中華民国の初等教科書のいくつか、(これ以外にもごっそりある)

①1912年(民国2年)の高等小学校歴史教科書,辛亥革命の直後のせいか「共和国」の名称が新鮮だ。(当時日本はRepublic of Chinaを支那共和国とも称していた・・)

②1934年(民国23年)の小学常識課本、汽車や電車のイラストが楽しい。蒋介石は日本より共産党との戦いに注力していたので、かろうじて日中間の平安は保たれていた時代だ。

③1936年(民国25年)民衆学校国語教科書、編集精華大学民衆教育研究会(民衆学校とは初等義務教育学校、ドイツ語のVOLKS SCHULEが語源)盧溝橋事件の1年前に作られたものだ他の教科書とは違い活字ではなく手書きの印刷だった。表紙をめくると「昭和12年7月末今回の日支事変初頭転身郊外南開大学爆撃跡より発見したる排日小学国語読本」との生々しい手書きの付箋が貼られていた。

▼内容は確かにかなり政治的で満州事変のことや中国人生徒を侮蔑する瀋陽の日本人教師に敢然と立ち向かう生徒の話などが出てくる。最後に生徒は(満州国ではなく)「われらは大中華民国のこどもだ」と叫ぶ。確かに日本軍にとっては許しがたい反日(排日)教科書に違いない。

▼裏表紙には上課証(出席証)が貼られていた。出席の都度チェックしたのか?持ち主は劉さん、4年生。84年前、だれがどんなルートで天津から持ち帰り御宿の篤志家に手渡したのだろうか。

▼こんな貴重な教科書は中国にも台湾にもないのではないだろうか。あれこれ熟読していると約束の2時間はあっという間に過ぎた。この間資料館には他の訪問者はなしだ。まあこんなものに興味を持って、わざわざこんな田舎までやってくる人はいるとは思えないが・・Uに電話しピックアップを頼むころ外は冷たい本降りの雨となった。

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