1967年(昭和42年)夏の北海道旅行⑤ 糸魚川から象潟へ

7月25日 晴

▼待合室は暑くよく寝られなかった。朝、目を覚ますと「あんたどこへ行くのか、富山ではないし、長岡ではないし、大糸線方面ではないし」といぶかしげな顔をした駅員から尋ねられた。「北海道へ行く途中です」と周遊券を見せたが不審者と思われたようで気分が悪かった。

▼糸魚川で駅寝したのは、ここにいるらしい小さな機関車を探すつもりだった(この時点では「東洋活性白土」と言う具体的な名前は知らなかった)。駅の西側から山側に向かって延びる専用線のことかと思い線路を歩くことにした。しばらくすると前方に「明星セメント」と看板が出ている工場が見えた。ここか?それにしては、構内に蒸機がいる気配はしない。情報はガセだったのかとがっかりだった。駅員に聞けば小さい機関車はここではなく、東洋活性白土で使っていると分かったはずなのに、そうしなかったのは朝の不愉快な一件があったからだ。(今は東洋活性白土だけでなく、この明星セメントの専用線も10年くらい前に廃線になったことが分かった)

・この日撮ったのはこれだけ 糸魚川駅構内で休む C56115

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▼暑い中とぼとぼと専用線を駅まで引換し糸魚川11時21分発の金沢始発青森行「急行しらゆき」に乗る。車内ではこの列車で青森から北海道へ渡ると言う富山大の学生と知り合いになり、あれこれ話すうちに朝の沈んだ気持ちがいっぺんに晴れた。17時57分、彼と分かれ象潟で下車し、ユースホステルへ電話した。幸い部屋は開いていたのでここで泊まることにした。このYH(象潟YH)、公営だけあって一昨日泊まった宿坊のようなYHとは段違いに設備が良く快適だった。(このYH今は廃業している、もう若者がYHに泊まりながら旅をする時代ではなくなったのだろう)

キャプチャto8

▼この日の支出514円(牛乳2本24円、ジュース10円、駅弁150円、電話10円、夕食120円、YH部屋代200円)夕食にはオムライスを食したとメモしている。

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1967年(昭和42年)夏の北海道旅行⑤ 糸魚川から象潟へ への4件のフィードバック

  1. 団長 より:

    何かご縁があるようですね。高校一年の夏休みに初めての鉄旅行で最初に泊まったのが象潟YHでした
    宿の記憶は全くありませんが、写真を見ると電化直前の羽越線をD51やDD511の牽く列車で北上しながらあちこちで撮影しています。

  2. nkurashige より:

    団長様
    ここのYH鉄筋コンクリート造りで立派でした。遠い遠い昔の話です。

  3. スノウチ ケンイチ より:

    象潟(にかほ市)在住です。以前はYH(象潟青年の家)教職員組合、山形銀行、コープケミカル、TDKの各保養所がありましたが、すべて解体されました。

    海の家も無くなり、唯一お盆の花火大会で露店が出る位です。

    GWは鳥海山、天然温泉があるので道の駅、温泉宿2軒が賑わっています。

  4. nkurashige より:

    もう半世紀以上経っていますので仕方がないですね

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