13年 初夏 マニラ→上海 鉄道紀行 第24日目 ようやく公益駅があった場所を見つけた

▼崩れた洋楼が立ち並ぶ公益の街は前回と全く変わらないいい味を出していた。

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▼さて駅はこの街のどこにあったのか?何人かにヒアリングし、ついにこの上半身裸男から「駅は街はずれの今は化学工場になっている場所にあった」と言う証言を聞きだした。

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▼さっそくそれらしき場所に行くがどうもわからない。バイクのお兄ちゃんに聞くも「自分は貴州から最近来たばかりでね」と駄目。

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▼そこにピンクの日傘を差した中年男が通りかかったので化学工場のことを尋ねると「俺は昔その工場に努めていたのでよく知っているよ、工場の中には機関車を回す装置、何と言ったっけ、そうターンテーブルか、それが残っていたな、工場まで俺が案内してやるよ」との返事に勇気100倍、わくわくしながらついて行った。

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▼男が案内してくれたのは「台山市燐肥廠」なる工場、工場にぶつかる通りが線路道だったに違いない。門衛に駅のことを聞いてみる。「あんた日本人?そんな古いことよく知っているな。そうだ、昔はここに駅があったんだ、でも戦争中日本軍の爆撃でやられたので、その跡地にこの工場を建てたのだ、昨年台山市の歴史文物管理委員会のメンバーがやって来てあんたと同じことを尋ねたが、もう鉄道の遺構は何も残っていないと答えたよ」とのこと。日傘の男が話してくれたターンテーブルはもう残っていないようだ。まあ駅があった場所が特定できただけで良しとしよう。これでようやく胸のつかえが取れた気がした。

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▼かっての新寧鉄路公益車站。この駅は行き止まり駅だったのでターンテーブルがあったとしてもおかしくない。

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