1968年(昭和43年)3月 北海道蒸機撮影旅行20 羽幌炭鉱鉄道

3月18日(月)曇時々晴

▼急行利尻は幌延到着4時57分、当初の計画では幌延で下車し、6時35分発の羽幌線急行はぼろで築別に向かうことにしていたが、つい寝過ごし次の豊富で下車せざるを得なくなった。(豊富到着5時30分)豊富は1週間前に日曹炭鉱を撮りに来たばかりだがずいぶん時間がたった気がした。上りは7時33分発の旭川行各停324Dしかないのでもう急行はぼろには間に合わない。羽幌炭鉱鉄道はやめてもう一度日曹炭鉱鉄道をやる手もあったが、予定通り羽幌炭鉱へ行くことにした。各停324Dは幌延到着8時8分、まずスタンプを押した。

▼幌延8時8分発の羽幌線まわり旭川行1824Dに乗る、列車は日本海に沿った寒々とした風景の中を進み、築別に10時3分に到着した。外はどんよりとした雪景色で寒い。

▼構内にはD61重連の貨物がいた、96の押すラッセルも・・

▼庫を覗くとD613が休んでいた。かなり明るかったので手持ちで撮影できた。

▼次の羽幌炭鉱鉄道築別炭鉱行は11時55分なのであと2時間ある。駅で羽幌炭鉱の貨物列車の時刻を聞いて線路を歩く。雪が深く線路を外れるとずぶずぶ埋まってしまった。86の牽く石炭列車は音もなくやってきた。

▼ふと国鉄羽幌線方向を見るとD61重連が走っている・・羽幌炭鉱よりこっちの方が迫力あるなと思った。

▼いったん駅に戻ると構内には羽幌炭鉱の8653がいた。見慣れた86だがキャブの社紋が国鉄の機関車ではないことを示している。

▼羽幌炭鉱へ戻りの空車は11時15分発だった(たぶん)。上り勾配なの煙を吐くし、幸い日も差してきた。もう一度羽幌炭鉱鉄道の線路を歩き始めた。ここで大失敗、場所(大してよい場所ではなかったが)を探してどんどん歩いているうちに、駅から離れすぎたのだ。撮った後急いで駅へ戻ろうとしたが、あと一歩と言うところで間に合わなかった。慌てたため胸のポケットに刺していた万年筆まで落としてしまった。すっかり意気消沈して次の15時13分発まで3時間待合室でぼ~としていた。

▼15時13分発の羽幌炭鉱鉄道DCは15時40分終点の築別炭鉱に到着した。庫でC111 を撮るが暗く手持ちではぶれぶれ。

▼駅には羽幌炭鉱鉄道の地図が掲げてあった。(幻に終わった曙から分岐する名寄、羽幌を結ぶ国鉄名羽線が描かれている。一部は建設中だったことがわかる)

▼滞在時間は1時間しかなく、すぐに16時40分発で築別に引き返した。築別到着は17時7分、すでに到着していた17時15分発羽幌線幌延行1827Dに乗り換える。車内では前席の娘さん(メモにはえらく美人だったと記しているが)とひとしきり話が弾んだ。何の話をしたのやら。19時6分幌延到着、19時40分発稚内行各停327Dで豊富へ(豊富到着20時12分)今夜のねぐら21時36分発札幌行急行利尻を待つ。ついに夜行4連チャンか。

▼この日の支出340円+α(羽幌炭鉱鉄道往復運賃140円、定食200 メモにはこれしか記していないが、これ以外に昼飯にパンを食べたはず。定食200円は夕食だと思うが、やや高い、どこで食べたのか?豊富?)

・この日の行程

▼50年後今の鉄道路線図を見ると羽幌炭鉱鉄道どころか羽幌線自体すっぽりと消えているのに改めて愕然とした。

カテゴリー: 1968年早春 北海道蒸機撮影旅行 パーマリンク

コメントを残す