▼昔山口県の田舎町(旧厚狭郡山陽町)に住んでいたころ、山陽本線北側の街筋に行く時はいつもヤードを横切って近道した。ヤードには近隣住民の便のために国鉄が作った(たぶん)通路があったからだ。すぐ右手は機関区で機関車がしょっちゅう出入りしていたが誰も気にしてはいなかった。今のように「安全」が過度にやかましい時代ではなかった。先年帰省の折、あの通路がどうなっているか知りたくて出かけてみたところ、ヤードだった場所にはソーラーパネルが敷き詰められ、機関区は太陽光発電所と化しているではないか。もちろん近道として利用したあの通路は影も形もないし、敷地全体が金網で囲われてしまっているので中には入れない。滄海桑田(滄海変じて桑田となる)とはまさにこのことかと愕然とした。
・九州貝島炭鉱ヤードにて、ホッパーの横ではアルコが石炭車の入れ替えをしている。足取り軽くお嬢ちゃんたちはお出かけだ。厚狭機関区前の通路もこんなだった。
昭和の筑豊にしては
いけてるお嬢さん達ですね(笑)。
確かにそうですね。