思いでの神戸市電⑯ 清盛塚と大和田橋

▼昭和43年秋、播但線のC57 、c11を撮りに行った時のネガの最後の方に「清盛塚」と「大和田橋」を行く市電の姿が写った数カットがあった。36枚撮りフイルムが全部消化しきれなかったので市電でも撮っておこうと思ったに違いない。

・清盛塚の傍を行く、当時は日本歴史には関心がなく平清盛が兵庫港の修築を命じた人物なんてこともまったく知らなかった。

img630_R

▼STREET VIEWでのぞいた現在の清盛塚周辺、道路は拡張されたが供養塔はそのまま残っている。

キャプチャer12

▼市電は清盛塚を通過すると大正時代に竣工した石つくりのアーチ橋「大和田橋」を渡った。(大和田とは兵庫港の古称「大輪田泊」にちなんで命名されたものだと後で知った)。橋のたもとに建つ大型倉庫に「神戸中央冷蔵」と書かれているので現在の地図(下)をチェックすると同じ位置に「神戸中央冷蔵本社」があったのにはびっくりだった。神戸市街は震災後はずいぶん変貌したが、このあたりはあまり変わっていない。

img631_Rキャプチャ神戸中央冷蔵

▼当時運河には大量の丸太が浮んでいていたが、現在では貯木場は消え運河はレガッタコースとして整備されている由。

img632_R

▼アーチ橋と丸太を絡めれば色々な情景が撮れたはずだが、大和田橋付近で撮った写真はこの時の数カットしかない、撮影のメイン対象は蒸機、市電はあくまでオマケだったからだ。清盛塚や大和田橋を通る松原線は昭和44年3月に廃止になった。松原線の廃止以来、清盛塚も大和田橋も再訪したことはない。

カテゴリー: 思いでの神戸市電 パーマリンク

思いでの神戸市電⑯ 清盛塚と大和田橋 への2件のフィードバック

  1. 低空飛行 より:

    結婚するまでこの近くに住んでいました。子どもの頃、清盛塚に登ったり、運河の丸太に乗って遊んでよく怒られました。清盛塚は震災で崩れましたが修理されています。花電車も松原線で見ていました。中ノ島方面から大輪田橋を登って下るので、電車の上の方から少しずつ見えてくるのが好きでした。

  2. 低空飛行 より:

    「清盛塚」は供養塔で墓所ではありません。墓所は、「清盛塚」から北へ500m程の所にある「能福寺」に「平相国廟」として存在します。「能福寺」には日本3大仏の一つ「兵庫大仏」が有り「御廟」はその横に建立されています。 ※能福寺( http://nofukuji.jp/

コメントを残す