▼ホテル近くのMACで簡単な昼飯を摂り、台山総站から農村客運のバスで白沙鎮へ行くことにした。かって白沙鎮は寧城(台山)とを結ぶ28.6kmの新寧鉄路白沙支線の終着駅だったところだ。日中戦争の勃発とともに国民政府は日本軍の侵攻を防ぐため新寧鉄路全線を破壊し白沙支線も撤去された。そんな76年も前に消えた鉄道の遺構を探るのは難しいことは百も承知だが、その昔標準軌の私鉄が通じた村とはどんなところか興味があった。
▼(上)現役時代の新寧鉄路白沙支線の写真は「FAR EASTERN REVIEW」の1934年5月号に1枚だけ掲載されている(下)以前江門市の博物館で白沙支線の時刻表を見かけたが旨く撮れなかった。
▼白沙鎮までバスは頻発されていた。(運賃8元)途中畑の向こうにこの地方独特の碉楼集落が見えた。
▼タブレットでバスの現在位置をチェックしていると約1時間で白沙鎮に到着した。
▼おっこれはすごい、バスを下り一歩街中に入ると古い騎楼が連なっているではないか、かってはモダンだった建物は皆薄汚れているが、妙なお化粧したり、観光化されたりせず時の流れと共に風化しつつある様は実に好ましい。
▼通りで暇そうに佇んでいる老人に片っ端から声をかけ駅や鉄道のことをヒアリングする。意外に皆さんがこの鉄道のことを覚えているのには驚いた。「あんた日本人?線路は日本軍の爆撃で壊されたんだ、駅の残骸は1990年代の初めまで残っていたが今はもう何もないよ」とのことである。その内1人の老人が「一部線路道や鉄橋は残っているが行ってみるかい」と誘ってくれたので喜んで案内してもらった。
▼村のはずれで見つけた鉄道の遺構、(左)橋梁 (右)築堤 橋の左に建っている人物は案内してくれた老人
▼(左)新寧鉄路白沙支線の線路跡はコンクリート道になった(右)コンクリート道は村に近づくと右折するが線路はそのまま直進していた由、今は線路道は草茫々で跡形もなし。ここをボールドウィンが木造客車を牽いて走っていたのか・・・
▼白沙鎮滞在は短時間だったが鉄道遺構については橋梁や築堤を確認し、街中で好ましい騎楼かなり残っているのが分かった。まあこれで良しとしよう。