14年春 華南・ミャンマー鉄道紀行 第1日目 台山(寧城)駅周辺を探る

▼新寧鉄路は米国帰りの華僑が建設しただけあってすべてがアメリカ式。機関車はほとんどがボールドウィン、客車もアメリカから輸入された。

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▼米国のシアトル駅(下)を模して建てられた駅舎(寧城駅)は鉄道廃止後も長くバスターミナルとして使用されていたが、1995年商業施設建設のため取り壊され現存しない。当時は政府関係者もまだ建物の歴史的意義を理解していなかったのだろう。残念なことだ。バスターミナルとして使用されていた時代の駅舎の写真を探していたが中国のサイトでやっと見つけた。(上)

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▼当時の台山駅周辺の線路図は解放前の台山の地図があれば、一目瞭然だろうが未入手なので文献等で想像するほかない。台山駅から分岐する白沙支線(=西南支線)に関しては「列車は台山駅を出ると燕喜酒店(現在の東風旅店)の脇を通り通済河を渡って西に向かった」とある。東風旅店は前回訪れた。うらぶれた現地人向けの宿屋だったが、通りに面し優美にカーブした姿は往年はさぞかしモダンな建物だったことをうかがわせた。この脇を線路が通っていたのか?

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▼台山に戻ったがまだ日があるので、もう一度東風旅店に出かけた。現場の状況からすると線路道は左側の道路ではなく、右側(今は新しい建物が隣接)だったのではないかと思えた。(左)うらぶれた東風旅店 (右)川の対岸から見る、木々の後ろに東風旅店がある。この位置に鉄橋があったのではないか?しかしこれと言う確証が持てないのですっきりしない。

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▼台山は数多く騎楼が残っているがリノベーションして小奇麗になっているので面白くない。屋台の寿司屋も出ていた。

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▼ところで白沙支線の最盛期にはフリークエントサービスを目指して「有軌汽車」が投入された由。中国語では汽車は自動車のこと。有軌電車ならぬ有軌汽車か、なるほどね。

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▼夕食はホテル近くの日本料理店で日本食を食し、やっと長い1日を終えた。

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