昭和の鉄道光景㉖瓶コーラの自販機

▼自販機が今のように普及する前もコカ・コーラの自販機だけはあった。もちろんペットボトルではなく瓶コーラのだ。お値段は190CCのレギュラーサイズは1本40円と思ったが、当時の旅日記をチェックすると35円~50円と場所によってばらつきがあるので確かではない。多分瓶代が含まれているかどうかの差だったのだろう。自販機には栓抜きがついており、これにひっかけて栓を外した。飲み終ったた空瓶は横に置かれた木箱に戻した。

・小田急線鶴巻温泉駅、再開発の前で牧歌的な田園風景が広がっていた。広場には遠足にやって来きた小学生たちの姿がある。駅の売店に牛乳配達の軽トラが到着した。作業員が荷台からケースに入った牛乳(瓶入)を取り出し空瓶ケースを持ち帰る。売店には「たばこ」の琺瑯看板がぶら下がり、向こうには瓶入りコーラの自販機が見える。自販機の横には瓶が24本入る空瓶箱が4段も重ねて置いてあることから、結構コーラの売れ行きは好調なことが分かる。駅前はまだ未舗装なのも時代を感じる。

▼さあ子供たちは楽しい遠足に出発だ。半世紀後、風景は一変しマンション林立の地になるなんてことはこのころ想像すらできなかった。

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昭和の鉄道光景㉕闇かご

▼大型スーパーやコンビニがなかった時代、買い物かごは買い物時の必須アイテムだった。買い物かごを腕に持ち主婦は近所の個人商店へお買い物に出かけた。野菜でも魚でも包装は新聞紙なので、レジの横には適当な大きさに切った新聞紙が束にしてひも吊り下げられていた。買い物かごはビニール製が多かったが、植物繊維(イグサだったか?)を編んでこしらえたものもあり、これは「闇かご」と呼ばれていた。戦後の闇市でこのタイプの籠が使用されたことに由来しているのだろう。闇かごはかなり丈夫で醤油や清酒の一升瓶を入れても平気だったことを覚えている。その後郊外の大型スーパーが台頭し駅近の個人商店は衰退した。買い物かごはプラスチック素材のレジ袋の普及しにより淘汰された。、そのレジ袋今や環境汚染を引き起こすとかで廃止(有料化)され、自前のマイバック(エコバック)に取って代わった。

・奈良線宇治駅、駅を出たすぐのところにある踏切りを、買い物かごを腕にした下駄足袋割烹着姿のおばちゃんが足早に渡る。 

・伯備線生山駅 新見行の列車が到着し大勢の乗降客で混雑している。構内には鉄道弘済会の売店もある。鉄道がまだ人々の重要な足として機能していたころの光景だ(現在では駅舎は建て替えられ無人化、もちろん売店はない、JR西の最近の統計では1日の乗降客はたった138人とは!)駅を出ようとする下駄姿のおばちゃんの腕には闇かごが、丸型郵便ポストの前の板壁に「駅の伝言板」が架かっているのも懐かしい。

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昭和の鉄道光景㉔会話

▼ホームを歩いていた駅員が片足を上げてほどけた靴の紐を結び直そうとすると、向こうに停まっていたいたD51の機関士が「おいおい何してるんだい」と声をかけ、しばしお互い軽口をたたきあう。まだ駅には駅員がおり、D51が貨物列車を牽いていたころ、関西本線のある駅で目にしたちょっとほほえましい?ワンシーン。

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昭和の鉄道光景㉓ヤードを横切る小道

▼昔山口県の田舎町(旧厚狭郡山陽町)に住んでいたころ、山陽本線北側の街筋に行く時はいつもヤードを横切って近道した。ヤードには近隣住民の便のために国鉄が作った(たぶん)通路があったからだ。すぐ右手は機関区で機関車がしょっちゅう出入りしていたが誰も気にしてはいなかった。今のように「安全」が過度にやかましい時代ではなかった。先年帰省の折、あの通路がどうなっているか知りたくて出かけてみたところ、ヤードだった場所にはソーラーパネルが敷き詰められ、機関区は太陽光発電所と化しているではないか。もちろん近道として利用したあの通路は影も形もないし、敷地全体が金網で囲われてしまっているので中には入れない。滄海桑田(滄海変じて桑田となる)とはまさにこのことかと愕然とした。

・九州貝島炭鉱ヤードにて、ホッパーの横ではアルコが石炭車の入れ替えをしている。足取り軽くお嬢ちゃんたちはお出かけだ。厚狭機関区前の通路もこんなだった。

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昭和の鉄道光景㉒ホームの白線

▼奥羽本線秋田駅、D51の牽く客車列車が停車している。よそ行きの格好をした男の子がホーム先端ギリギリのところにしゃがんでぼんやり線路の向こうを眺めていた。どうやら彼は目の前にいる機関車には関心がない様子だ。そんな場所にしゃがみこんで危なくないか?「この先に入ってはいけません」を示す白線はどこにも引かれていないが・・

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昭和の鉄道光景㉑ホームの売店

▼午前8時5分、鹿児島本線小倉駅に門司港からD60の牽く筑豊本線経由原田行の列車が進入する。ホームで列車を待っていた年配の乗客が口にしていたタバコを柱の吸い殻入れに捨てた。乗客の背後には水飲み場と売店が並んでいる。売店がKIOSKを呼ばれるようになるのは後のことで看板には小さな鉄道弘済会のロゴと単に「弁当、お茶、飲物」と記されているだけだ。ペットボトル自販機は影も形もなく、お茶は茶葉の入ったポリ茶瓶に魔法瓶から湯を注ぎ、ジュース類の大半は瓶詰で売られていた。飲み終わった飲料瓶はその場で空瓶箱に戻した(列車に持ち込む場合は5円か10円別途瓶代を払った?)。

▼上写真の一部を拡大、お茶用の湯の入った魔法瓶やジュース空瓶入れが写っている。

▼大学生だったころ夏1か月ほど旅行資金とフィルム代を稼ぐため小さなラムネ工場でアルバイトをしたことがある。工場ではラムネだけでなく「パレード」と言う乳飲料も製造していた。アルバイトは製造だけでなく時には配達チームに回された。配達先には国電各駅(須磨、塩屋、垂水、舞子)ホームの売店があったがこれが重労働だった。猛暑の中、ずっしりパレード(パレードのみラムネはなかった)の詰まった木箱を抱えて階段を上り下りして売店に届け、引き換えに空瓶箱(飲み残しが結構あったアリ)を回収しなければならないからだ。それにしても今思うとあんな零細企業のローカルブランド商品がよく駅売店に納入出来たなと不思議だが特別な事情でもあったのだろう。

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昭和の鉄道光景⑳額看板

▼国鉄駅では見かけたことはないが(あったかもしれないが)、一昔前の私鉄駅の改札口にはよく扁額のような看板が掛けられていた。定期的に取り換えられる普通のポスターと違って、めったに取り換えられることのない額看板は年季の入ったものが多かった。今も覚えているのは山口県の船木鉄道(昭和36年廃線)万倉駅待合室の靴屋だったかかばん屋だったかの額看板だ。看板は木板に手書きでポパイのイラストと店名が記されていた。著作権がうるさくない時代だったのでそんな図案でも問題なかったのだろう。万倉には母方の祖父母が住んでいたので、船木鉄道のガソリンカーに乗ってよく遊びに出かけていた。行くときも帰る時も否応なく目に入るのがこのポパイの額看板だったのだ。しっかり子供心に定着したものは永遠に消えることはない。

・ある夏の日の尾小屋鉄道新小松駅の待合室、改札口の上に「神足産婦人科」と「牛島薬局」の額看板が掛けられていた。

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昭和の鉄道光景⑲線路を歩く

▼先日TVのニュースで只見線全通特集をやっていた。政府の旅行支援策や紅葉シーズンとも重なったので、全通した只見線はどの列車も押しかけた観光客で山手線?のような混みようらしい。大盛況は大変結構だが、お祭り騒ぎ騒ぎが終わった後の永続的な観光客の誘致が課題の由。ニヤリとさせられたのは「もう今はそんなことはできませんが、昔は私たちは川向こうの集落に行く時はいつもこの只見線(当時は会津線)の鉄橋を歩いて渡っていたのですよ」と語っていた観光船のおばちゃんの言葉だ。そうあの頃の会津線は地元の人だけでなく、我々鉄道ファンもみな線路を歩き鉄橋を渡りトンネルをくぐった。道路を迂回して撮影スポットに向うなんて考えもしなかった。

・ローカル線では線路歩きが当たり前だったころ。 みんな線路を歩いていた(左)あと何分かでC56がやってくる頃だが、草?の束を背負った農民が悠然と鉄橋を渡って行く(小海線)(右)C12の到着を待ち構えていると釣り竿を手にした若いカップルが線路を歩いて来た。近くの川か池に釣りに行くのだろうか、男は魚籠をぶら下げている。(高森線)               

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昭和の鉄道光景⑱カンカン部隊のおばちゃんたち

▼もうその姿を目にすることはほとんどないが、一昔前まで列車には普通の乗客だけでなく行商人も乗った。久大線で天秤棒を持った金魚売りに出会ったときはさすがにびっくりしたが、一番多く見かけたのは背中に風呂敷に包んだブリキ缶を担いだおばちゃんたちだ。おばちゃんたちはカンカン部隊と呼ばれた。缶には早朝市場で仕入れたばかりの新鮮な魚が入っており、おばちゃんたちはそれぞれのお得意さんが住んでいる街へ向って行商するのだ。

・ずっしり思い缶を背負うだけでなくだけ、両手にも野菜や果物の入った籠を持つ。

・列車を降りると駅長が一言二言、顔なじみのおばちゃんたちに声をかける。さあリヤカーに荷物を積みかえると行商の開始だ。

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昭和の鉄道光景⑰窓を開けて

▼初めて冷房車両に出会ったのは夏の九州だった、猛烈に暑かった日、乗りこんだ列車(DC急行)は超満員だったので、前につないだ1等車(まだグリーン車ではなかった)を通り抜け先頭方面の車両に移動しようとして、ドアを開けるとひやりとした冷気に包まれた。さすが1等、2等車とは別世界だなと驚いたことを覚えている。普通の乗客は窓から吹き込む風と天井の扇風機で涼を取るのが当たり前だった時代だ。

・夏は北海道は暑い。停車中の札幌経由函館行普通列車。通路側に座っているランニング姿の乗客は盛んに噴き出る汗をぬぐっている。扇風機は暑い空気をかきまわしているだけでちっとも涼しくない。

・列車が走りだすと窓から外の風が入ってくるのでやっと涼しくなる。でも景色に見とれていると機関車の煤煙が目に飛び込んでくるので要注意だ。

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